
ジョン・ロック
John Locke
1632年 — 1704年
経験論と社会契約説の近代自由主義の父
この人物について
人間の心は白紙(タブラ・ラサ)である。この宣言で近代経験論の基礎を築き、自然権と社会契約で近代民主主義の思想的土台を据えた自由主義の父。
【代表的な思想】
■ タブラ・ラサ(白紙の心)
生得観念を否定し、人間の心は生まれたとき白紙であり、すべての知識は感覚的経験と内省から得られるとした。デカルトの生得観念論への正面からの反論であり、イギリス経験論の出発点。
■ 自然権と社会契約
人間は自然状態において生命・自由・財産という不可侵の権利(自然権)を持つとした。政府は人民の同意に基づく社会契約によって成立し、自然権を侵害する政府に対しては抵抗する権利(革命権)があると論じた。
■ 宗教的寛容
国家は個人の信仰に介入すべきではないとする宗教的寛容を擁護した。信仰は強制によって生まれるものではなく、内面的な確信に基づくべきだとした。
【特徴的な点】
ホッブズが強力な主権者の必要性を説いたのに対し、ロックは政府の権力を制限し個人の権利を守ることを重視した。認識論と政治哲学の両面で近代の枠組みを決定づけた稀有な思想家。
【現代との接点】
アメリカ独立宣言やフランス人権宣言に直接的な影響を与えたロックの思想は、現代の立憲主義と人権思想の根幹をなす。教育論でも経験を重視する姿勢は今日の教育哲学に通じる。
さらに深く
【思想の形成】
ジョン・ロックは1632年、イングランドのリントン(サマセット州)に、ピューリタンの法律家の息子として生まれた。オックスフォード大学で学び、哲学・医学・自然学に関心を広げ、王立協会の会員としてボイルやニュートンと交流した。1666年に名門貴族のシャフツベリ伯アントニー・アシュリー・クーパーと出会い、その主治医・顧問として政治の中心に関わる。シャフツベリの失脚後はオランダに亡命し、名誉革命後の1689年にイングランドへ帰国して『統治二論』『人間悟性論(人間知性論)』『寛容についての書簡』を相次いで刊行した。これらの著作は認識論・政治哲学・宗教思想の三領域で近代的思考の出発点を示す。晩年はエセックス州のマシャム家で穏やかな隠居生活を送り、1704年に72歳で没した。
【思想的意義】
『人間悟性論』ではデカルトの生得観念論を批判し、すべての知識は経験、すなわち感覚と内省に由来するとした。心は白紙(タブラ・ラサ)として生まれ、経験がそこに文字を刻んでいく。単純観念が複合されて複合観念となり、我々の知識の全体を構成する。物の性質を第一性質(形・運動など客観的なもの)と第二性質(色・音など主観的なもの)に区別する議論は近代科学の物質観と響き合う。政治哲学では、人間は自然状態において生命・自由・財産(プロパティ)の自然権を持ち、これを守るために社会契約を結んで政府を設立するとした。政府が自然権を侵害した場合、人民には抵抗する権利があるとする革命権の理論は、絶対王政に対する近代的抵抗の根拠を与えた。『寛容書簡』では、教会と国家の領分を分離する近代的な宗教的寛容論を提示した。
【影響と継承】
『統治二論』はアメリカ独立宣言と合衆国憲法の理念的源泉となり、ジェファソンは「生命・自由・幸福の追求」の一節にロックの枠組みを反映させた。フランス啓蒙ではヴォルテールが『哲学書簡』でロックを称揚し、カントやミルの自由論にも深い痕跡を残す。認識論の系譜ではバークリー、ヒュームを経てカントの超越論哲学へと展開された。現代でも財産権論、政教分離、リベラリズムの議論における古典として参照され、ノージックや現代のリバタリアニズムはロックの自己所有権論を基礎にしている。
【さらに学ぶために】
『統治二論』は加藤節《かとうたかし》訳(岩波文庫)で読みやすく、特に後篇「市民政府論」は比較的短く読み通せる。『人間知性論』は大著だが第一巻の生得観念批判だけでも経験論の出発点が鮮やかに味わえる。ホッブズ『リヴァイアサン』、ルソー『社会契約論』と併読すると近代政治哲学の全体像が見えてくる。















