『人間知性論』
にんげん ちせいろん
ロック·近代
人間の認識能力を経験主義的に分析した哲学書
この著作について
名誉革命後のロンドンで17世紀末に公刊された、近代英国経験論の出発点となるロックの主著。
【内容】
全4巻。人間知性の「起源・範囲・確実性」を体系的に問うことが目的である。第1巻は、心が生まれながらに原理や観念を備えているとする伝統への批判。第2巻では、心は感覚(外界の知覚)と反省(内面の観察)という二つの経験の窓から単純な観念を受け取り、それを組み合わせて複合観念をつくるという理論が展開される。第3巻は言語と観念の関係、第4巻は知識の種類と確実性、信念と蓋然性の扱いを論じる。心を白紙(タブラ・ラサ)と捉える比喩がここから広まった。
【影響と意義】
「人間は何を、どこまで、どのような根拠で知ることができるのか」を主題とした本書は、英国経験論の基盤を据え、バークリー、ヒューム、そしてカントの批判哲学の直接の対話相手となった。タブラ・ラサの比喩は教育論・政治論にも波及し、近代自由主義の認識論的背景を提供した。
【なぜ今読むか】
平明な文体と豊富な日常例で進む議論は、哲学書としては読みやすい部類に入る。情報があふれる時代に「自分は本当は何を知っているのか」を点検するための、最良の訓練場になる。
さらに深く
【内容のあらまし】
序論「読者へ」でロックは執筆の経緯を語る。友人たちと道徳と宗教の問題を議論していて壁に突き当たり、議論を進める前にそもそも人間の知性がどこまで及ぶのかを確かめる必要があると気づいた、と。本書はその予備作業のはずが二十年がかりの大著となった。
第1巻「生得観念について」は破壊作業である。同意があらゆる人にあるとされる原理、たとえば「同じものは同じである」のような論理的原理や神の観念は、生得的ではない。子供にも、教育を受けていない人にも、これらの観念は見られない。すべての観念は生得ではなく、後天的に獲得されるはずだ、とロックは結論する。
第2巻「観念について」が本書の中心となる。心は生まれたときに白紙であり、経験という二つの源泉から観念を受け取る。第一は外界の感覚であり、色・音・味・硬さ・運動などを伝える。第二は自分の心の内なる働きの観察、すなわち反省であり、思考・疑い・信念・意欲・欲望を伝える。これら単純観念から、心は結合・比較・抽象によって複合観念を作る。実体・様態・関係の観念がそれにあたる。色や音といった「第二性質」は感覚する者の側に依存するが、形状・延長・運動といった「第一性質」は物体に客観的に属する、という区別がここで提示される。人格の同一性は実体ではなく意識の連続にあるという有名な議論もこの巻で展開される。
第3巻「言葉について」では、言葉は事物そのものではなく観念の記号であると位置づけられる。多くの哲学的論争は、同じ語に異なる観念を結びつけて互いに気づかない言葉の混乱に由来する。実体名は実体の本質を捉えていない仮の整理にすぎない、という醒めた診断が下される。
第4巻「知識と意見について」は知識の限界の確定にあてられる。知識とは観念どうしの一致または不一致の知覚であって、ロックはこれを直観的・論証的・感覚的の三段階に分ける。数学の真理は論証によって、外的事物の存在は感覚によって、神の存在は論証によって知られる。これ以外の多くの主張は知識ではなく蓋然的な意見にとどまる。だから人は意見の蓋然性に応じて、寛容に異論を扱わねばならない、と政治的・倫理的含意が引き出される。
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