
デイヴィッド・ヒューム
David Hume
1711年 — 1776年
因果律を懐疑した経験論の完成者
この人物について
経験だけを頼りに、哲学の常識を根底から揺さぶったスコットランドの懐疑論者。
【代表的な思想】
■ 因果律への懐疑
因果関係は世界に客観的に存在する必然性ではなく、繰り返し観察される恒常的連接から生じる心理的習慣にすぎないと論じた。この洞察はカントを「独断のまどろみ」から覚醒させ、近代哲学の転換点となった。
■ 事実と価値の峻別
「である」から「べきである」は導出できないとする「ヒュームのギロチン」を提示し、道徳判断の論理的基盤を問い直した。
■ 情念の道徳論
理性は情念の奴隷であるとし、道徳の基盤は理性ではなく共感(sympathy)という感情にあると主張した。
【特徴的な点】
ロックやバークリーのイギリス経験論を徹底化し完成させた点で、大陸合理論のデカルトやライプニッツと対極にある。自然宗教への批判的考察でも知られ、奇跡論の論駁は宗教哲学の古典である。
【現代との接点】
科学哲学における帰納法の問題、AI研究における因果推論の限界、道徳心理学における感情主義の議論など、ヒュームの問いは現代の最先端の議論に直結している。
さらに深く
【思想の形成】
デイヴィッド・ヒュームは1711年、スコットランドのエディンバラに小地主の息子として生まれた。18歳頃から哲学的思索に没頭し、神経衰弱を患いながらフランスのラ・フレーシュ村に滞在して思索をまとめ、26歳で『人間本性論』を出版した。しかしこの野心作は「印刷機から死産した」と本人が自嘲するほど黙殺された。後にこれを平易に書き直した『人間知性研究』(1748年)や『道徳原理研究』(1751年)で名声を得ていく。その経験論的な宗教批判ゆえに大学教授職の道は二度閉ざされたが、エディンバラ弁護士図書館の司書として『イングランド史』を執筆し、歴史家として大きな成功を収めた。外交官としてパリに滞在中はダランベールやディドロら百科全書派と親交を結び、帰国後は盟友アダム・スミスと知的刺激を交換しながら温厚な晩年を過ごした。1776年に没した際、スミスは「完全に賢明で徳のある人物」と追悼した。
【思想的意義】
ヒュームの因果律批判は哲学史上最も重要な議論の一つである。ビリヤードの球がぶつかって別の球が動くのを見るとき、我々は原因と結果の必然的なつながりを感じるが、実際に経験しているのは二つの出来事の「恒常的連接」にすぎない。必然的な因果の力は経験の中にはなく、習慣によって心が付け加えたものである。自我についても同様で、心の中を内省しても見出されるのは様々な知覚の束だけであり、それらの背後に不変の実体としての自我があるという保証はない。「事実」から「当為」は導けないとするいわゆる「ヒュームの法則」、奇蹟論や自然宗教論での宗教批判、そして情念こそが理性を導くとする動機論は、その懐疑主義的経験論の到達点を示す。
【影響と継承】
ヒュームの因果律批判はカントを「独断のまどろみ」から目覚めさせ、『純粋理性批判』の出発点となった。道徳哲学では功利主義・感情主義の系譜を準備し、盟友アダム・スミスの道徳論と経済学は共感を基盤とするヒューム的な人間観の延長線上にある。20世紀には論理実証主義と分析哲学がヒュームを再評価し、現代の心の哲学やベイズ主義的認識論、法哲学におけるヒュームの法則をめぐる議論など、影響の射程はきわめて広い。宗教批判の系譜ではダーウィン的な自然主義の哲学的先駆としても読まれる。
【さらに学ぶために】
『人間知性研究』は主要な哲学的議論が平易にまとめられた最良の入門書で、斎藤繁雄《さいとうしげお》・一ノ瀬正樹《いちのせまさき》訳(法政大学出版局)で読める。『人間本性論』は本格的に取り組むなら木曽好能《きそよしのう》訳(法政大学出版局)が利用可能。神野慧一郎《じんのけいいちろう》・中才敏郎《なかさいとしろう》『ヒューム:道徳と政治』などの解説も役立つ。








