
トマス・ホッブズ
Thomas Hobbes
1588年 — 1679年
リヴァイアサンの社会契約論者
この人物について
人間の本性を冷徹に見つめ、国家の必然性を論じた近代政治哲学の創始者。
【代表的な思想】
■ 自然状態論
政府なき自然状態では「万人の万人に対する闘争」が生じ、人間の生は孤独で残忍で短いものになると描写した。自己保存の本能が人間行動の根本動機であるとした。
■ 社会契約と主権論
恐怖から逃れるため、人々は社会契約により絶対的な主権者(リヴァイアサン)に権力を委譲すると論じた。主権は分割不可能であり、内乱を防ぐために強力な統治権力が不可欠であるとした。
■ 機械論的人間観
唯物論に基づき、人間を感覚・欲求・推論という機械的過程によって動く存在として捉え、政治学を幾何学のように厳密な学問として構築しようとした。
【特徴的な点】
ロックが自然権の保護を国家の目的としたのに対し、ホッブズは秩序と安全を最優先した。ルソーが自然状態を平和的と見たのとも対照的である。三者の社会契約論の違いは近代政治思想の根幹をなす。
【現代との接点】
国際関係論のリアリズム学派、安全保障論、ゲーム理論の囚人のジレンマなど、ホッブズの問いは秩序と自由の緊張関係を考える上で今なお不可欠である。
さらに深く
【思想の形成】
トマス・ホッブズは1588年、イングランドのウェストポートに生まれた。「母は恐怖と私を双子のように産んだ」と自ら述べたように、スペイン無敵艦隊の来襲への恐怖の中で早産で生まれたと伝えられる。オックスフォード大学でスコラ哲学を学んだ後、大陸に渡ってガリレオやメルセンヌ、デカルトと交流し、幾何学の厳密さに強い感銘を受けた。政治を幾何学のように演繹的に構築するという発想はここに根を持つ。イングランド内戦の混乱の中でパリに亡命し、一六五一年に主著『リヴァイアサン』を刊行した。九十一年の長寿を全うし、最期まで知的活力を保った。
【思想的意義】
出発点は人間本性の冷徹な分析である。人間は本質的に平等であり、誰でも他者を殺す能力を持つがゆえに、希少な資源をめぐって競争・不信・名誉への欲求が生じる。政府なき自然状態では万人の万人に対する闘争となり、人間の生は孤独で貧しく不潔で残忍で短いものとなる。この恐怖から逃れるために、人々は社会契約を結んでいっさいの権力を絶対的主権者(リヴァイアサン)に委譲するとされた。主権は分割不可能であり、内乱を防ぐには強力な中央権力が不可欠である。唯物論と機械論的人間観を徹底させ、政治学を幾何学のような厳密な学として構築しようとした点に画期的な意義がある。
【影響と継承】
ロックは自然権の保護を国家目的に据えることで『リヴァイアサン』を批判的に継承し、ルソーは自然状態を平和的なものとして描き直した。この三者の社会契約論の差異は、近代政治思想の根本的な見取り図を形作っている。カント、ヘーゲル、ロールズもそれぞれの仕方でホッブズの問題設定と格闘した。二十世紀後半以降、国際関係論のリアリズム学派や、ゲーム理論の囚人のジレンマ、安全保障論においてホッブズ的秩序観は繰り返し呼び出されている。自由と秩序の緊張関係を考える際の古典として読まれ続けている。
【さらに学ぶために】
『リヴァイアサン』の第一部・第二部が政治哲学の核心である。水田洋《みずたひろし》訳(岩波文庫)が標準的な邦訳で、全四巻に分冊されている。ロック『統治二論』、ルソー『社会契約論』と併読すると、近代政治思想の多様性と論争点が鮮明に浮かび上がる。






