自然主義
科学的観察に基づき、人間の現実をありのままに描く文学思想
この思想とは
科学的方法に基づいて人間と社会の現実をありのままに描こうとする文学・思想運動。
【生まれた背景】
19世紀後半のフランスで、実証主義と進化論の影響の下、ゾラが小説を「実験」として構想した。ロマン主義の理想化や感傷への反動として、バルザックやフローベールの写実主義をさらに徹底させた。
【主張の内容】
ゾラは『実験小説論』で、小説家を科学者になぞらえ、人間の行動を遺伝と環境の産物として客観的に観察・記述すべきとした。美化も道徳的判断も排し、貧困・病気・暴力・性といった暗部をも科学的冷静さで描く。人間の自由意志は遺伝的気質と社会環境に大きく制約されるという決定論的人間観が根底にある。ドイツではハウプトマン、アメリカではドライサーやノリスが展開。日本では明治後期に田山花袋の『蒲団』、島崎藤村の『破戒』が自然主義文学の代表作となり、私小説の伝統へと発展した。ダーウィンの進化論とテーヌの環境決定論が理論的支柱。
【日常での例】
「人は生まれ育った環境に左右される」「きれいごとではなく現実を直視すべき」という態度は自然主義的。
【批判と限界】
機械的決定論の一面性、人間の自由と尊厳の軽視、暗い題材への偏りが批判される。
さらに深く
【思想の深層】
文学的自然主義の哲学的基礎は実証主義と決定論にある。コントの実証主義は「観察と実験によって確認できる事実のみが知識の対象」とし、テーヌは「人間は遺伝・環境・時代という三つの決定因の産物」と論じた。ゾラはクロード・ベルナールの実験医学の方法を文学に応用しようとした。「実験小説」は社会環境という実験室で人間という材料がどう反応するかを「客観的に記録」する。自由意志ではなく遺伝と環境が人間の行動を決定するという決定論的人間観が核心にある。美化も道徳的裁断も排し、現実をそのままに描くという方針は、当時の浪漫主義的理想化と保守的道徳文学への二重の批判であった。日本の自然主義は独特の変容を遂げた。ゾラ的な客観的社会描写より、作家自身の内面と経験をありのままに暴露する「私小説」へと転化した。この変容は西洋の方法論と日本の告白文学の伝統との融合を示す。
【歴史的展開】
バルザック・フローベールのリアリズムを出発点とし、ゾラ(ルーゴン=マッカール叢書20巻)がフランス自然主義を確立した(1870〜90年代)。ドイツではハウプトマン(『日の出前』)、アメリカではドライサー(『シスター・キャリー』)、ノリス(『文語』)が展開した。日本では明治末期〜大正期に田山花袋(『蒲団』1907年)・島崎藤村(『破戒』1906年・『家』1910年)が代表的な自然主義文学を産んだ。その後自然主義が「私小説」として特殊日本的に変容したことへの批判もあった。
【現代社会との接点】
DNA・遺伝学の進歩は「遺伝が行動・性格を決定する度合い」への問いを刷新し、自然主義的決定論の現代版として機能する。ノンフィクション・ドキュメンタリー・ジャーナリズムの「ありのままを描く」精神は自然主義の現代的継承といえる。
【さらに学ぶために】
ゾラ『居酒屋』(古賀照一訳、岩波文庫)はフランス自然主義の傑作として読みやすい。田山花袋『蒲団』(岩波文庫)は日本自然主義の出発点として論争的な作品。小田切秀雄『日本近代文学の成立』は自然主義文学の日本的展開を論じる研究書。

