懐疑主義
確実な知識の可能性を疑い、判断を保留する
この思想とは
確実な知識が得られるかを根本的に疑い、独断的判断を保留する哲学的態度。
【生まれた背景】
古代ギリシアのピュロンがインド遠征から帰国後、あらゆる教説の相対性を悟り、判断の停止(エポケー)を説いたのが始まり。学派間の対立が知的確実性への懐疑を深めた。
【主張の内容】
あらゆる命題にはそれと同等の反対命題を立てうるとし(等力性)、いずれにも独断的に同意せず判断を保留することで、かえって心の平穏(アタラクシア)が得られるとした。セクストス・エンペイリコスが体系化し、十の論法(トロポイ)を整理した。近代ではデカルトが方法的懐疑として活用し、「我思う」を疑いえぬ出発点とした。ヒュームは因果関係や帰納法の正当化不可能性を論じ、カントに「独断のまどろみ」から覚醒させた。現代認識論でもゲティア問題やデカルトの悪霊仮説が議論される。
【日常での例】
「本当にそうか?」と立ち止まって批判的に考える態度は懐疑主義的。
【批判と限界】
徹底した懐疑は行動不能に陥るという実践的矛盾、自己論駁的であるとの批判がある。
さらに深く
【思想の深層】
懐疑主義の哲学的威力はその徹底性にある。デカルトの「方法的懐疑」はその典型である。感覚は錯覚することがある(夢の中でも感覚体験は実在するように感じる)。数学的真理さえも「邪悪な悪魔が常に私を欺いているなら」正しいとは言えない。そこで疑いえぬ何かを求めて到達したのが「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)」。疑っている私の存在は疑えない。ヒュームの懐疑はより破壊的だった。因果関係(AがBを引き起こす)はわれわれの観察から直接導けない。われわれが見るのは「AのあとにBが続く」という恒常的連接(constant conjunction)に過ぎず、「必然的つながり」は習慣から生じる心理的期待にすぎない。この問題はカントを「独断のまどろみ」から目覚めさせ、批判哲学へと導いた。古代ピュロン主義の「エポケー(判断中止)」はすべての命題に同等の反対命題を立てられるとし(等力性・イソステネイア)、判断を止めることで心の平穏(アタラクシア)を得るとした。
【歴史的展開】
古代ギリシアのピュロン→セクストス・エンペイリコスの体系化(2〜3世紀)→中世の沈黙(キリスト教的権威が懐疑を抑圧)→16世紀のモンテーニュ(「クスクワイ(私は何を知るか)」)による再発見→デカルト(方法的懐疑を踏み台として合理主義構築)→ヒューム(帰納と因果への根本的懐疑)→カント(懐疑への応答として批判哲学)という流れ。現代では「ゲティア問題」(正当化された真なる信念が知識である条件の反例)が知識論の新たな懐疑的問題として登場した。
【現代社会との接点】
「クリティカル・シンキング(批判的思考)」の根幹は懐疑主義的態度(「本当にそうか?」「根拠は何か?」と問い続ける)にある。フェイクニュース・陰謀論が蔓延する情報環境において、適度な懐疑心の訓練は民主主義的市民に不可欠とされる。一方で過度の懐疑(「科学も信じない」)はポスト真実政治の温床ともなる。
【さらに学ぶために】
デカルト『方法序説・省察』(山田弘明訳、ちくま学芸文庫)は方法的懐疑の出発点。ヒューム『人間知性研究』(斎藤繁雄・一ノ瀬正樹訳、法政大学出版局)は懐疑論の哲学的深みを示す。伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』(ちくま新書)は日本語で懐疑的思考を訓練する入門書。
代表人物
ピュロン
古代懐疑主義(ピュロン主義)の創始者。判断保留(エポケー)によって心の平静を得ることを説いた。
ピュロン主義は古代懐疑主義の創始であり、エポケーによる心の平静を説いた
ヒューム
因果律を懐疑した経験論の完成者
因果関係や自我の実在に対する懐疑論を展開した
デカルト
「我思う、ゆえに我あり」の近代哲学の父
デカルトは方法的懐疑によって確実な知識の基礎を探求し、懐疑主義の論法を近代哲学の出発点として活用した
モンテーニュ
『エセー』で自己と人間の本性を探究した懐疑主義の文人
「私は何を知るか」の懐疑的探究
パスカル
数学・物理学と信仰の間を生きた天才的思索家
理性の限界を認め、「パスカルの賭け」で信仰の合理性を論じた
ポパー
反証可能性と開かれた社会の科学哲学者
批判的合理主義により科学的知識の暫定性を論じた






