実存主義
じつぞんしゅぎ
人間は自ら意味を創り出す自由な存在
この思想について
人間の具体的な存在(実存)を哲学の中心に据える思想潮流。
【生まれた背景】
二度の世界大戦を経て、伝統的な価値体系が崩壊した20世紀のヨーロッパで、個人がいかに生きるべきかという問いが切迫した。キルケゴールとニーチェを先駆とし、ハイデガー・サルトルらが展開した。近いところにいたカミュは、実存主義者と呼ばれることを拒んだ。
【主張の内容】
サルトルの「実存は本質に先立つ」が象徴するように、人間にはあらかじめ定められた本質や目的は存在しない。人間は自由の刑に処せられており、自らの選択と行動によって自己を創り上げていく。この自由は同時に不安と責任を伴う。ハイデガーは「死への存在」として人間の有限性を直視することで本来的な生を説き、サルトルは「アンガージュマン(参与)」による社会的責任を強調した。
【日常での例】
進路選択で「自分の人生は自分で決める」と覚悟するとき、実存主義的な態度をとっている。
【批判と限界】
個人主義的すぎるとの批判や、社会構造の制約を軽視するとの指摘がある。
さらに深く
【思想の深層】
サルトルの「実存は本質に先立つ」というテーゼは実存主義の宣言である。ナイフは「切る」という本質(目的)のために設計・製造される。本質が実存に先立つ。しかし人間は目的を与えられて生まれてくるわけではない。まず世界に「投げ込まれ(被投性《ひとうせい》)」、そのあとで自分が何者かを選択によって作っていく。この自由は解放ではなく「呪い」でもある。選ばないこともできず、責任を回避することもできない(不誠実な態度を「自己欺瞞(マヴェーズ・フォワ)」と呼ぶ)。ハイデガーは「死への存在」として人間を規定し、自分の死を本当に意識することで初めて本来的な実存が可能になると論じた。ボーヴォワールは女性の実存の問題を「女は女として生まれるのではなく、女になるのだ」という言葉で表現した。
【歴史的展開】
実存主義の源流はキルケゴールにある。理性的な体系(ヘーゲル)に抗して「個」の実存の問題を提起し、不安・絶望・信仰の飛躍を論じた。ニーチェの神の死の宣言と価値の転換も先駆をなす。20世紀にはフッサールの現象学を受け継いだハイデガー(『存在と時間』1927年)が存在論的な実存主義を展開し、ジャン=ポール・サルトルがこれをフランスに持ち込んで社会参加と政治との結びつきを強めた。カミュは実存主義とは一線を画しながら「不条理の哲学」を展開した。フランクルは「意味への意志」を中心とするロゴセラピーを創始し、実存主義を心理療法に統合した。
【現代社会との接点】
実存主義は現代の「意味の危機」と深く共鳴する。「なぜ生きるのか」「自分らしくあるとはどういうことか」という問いは、宗教的権威が弱まった現代社会でより切実になった。実存療法(ヤーロム、ラングレ)は実存主義哲学を心理臨床に応用し、死・自由・孤独・無意味という「実存的な苦しみ」に向き合う。SNS時代の「自己ブランディング」と「自己欺瞞」の問題、仕事の意味の喪失、過剰な選択肢と選択の麻痺など、現代的な苦しみを分析する枠組みとしても有効である。
【さらに学ぶために】
サルトル『実存主義とは何か』はサルトル自身による平易な入門講演録。ボーヴォワール『第二の性』は実存主義とフェミニズムの交点として歴史的に重要。フランクル『夜と霧』は実存的な意味の問いを生還体験から描いた名著。ハイデガー入門としては木田元《きだげん》『ハイデガーの思想』がわかりやすい。
代表人物
この思想に影響を与えた人物
この思想から影響を受けた人物
近い思想
対立・緊張関係のある思想
関連する悩み
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関係の選択を実存的決断として引き受ける視点
疎外を直視しつつ、自分自身の意味を創造する道を示す
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