『夜と霧』
よると きり
現代
強制収容所の体験から「生きる意味」を問うた記録文学
この著作について
ウィーンの精神科医ヴィクトール・フランクルが、ナチスの強制収容所で家族を失い自身も3年間収容された体験をもとに1946年に公刊した、極限状況での人間の尊厳と意味を問う記録文学。
【内容】
本書はアウシュヴィッツなどの収容所での生活を、精神科医としての冷静な観察で記録する。第一段階は収容時のショック、第二段階は無感動への移行、第三段階は解放後の人格変容として描かれる。体験の記録を通じて、極限の苦しみのなかでも、人間には最後の自由(与えられた状況に対する態度を選ぶ自由)が残されていると論じられる。著者の「ロゴセラピー(意味療法)」では、人間は快楽でも権力でもなく「意味」を求める存在だと位置づけられる。
【影響と意義】
世界で1200万部以上を売り上げ、時代と国境を超えて読まれ続けている。実存分析とロゴセラピーは、フロイトの精神分析、アドラーの個人心理学に続くウィーン第三の心理療法学派として現在も臨床で実践されている。
【なぜ今読むか】
極限状態でも人間の尊厳を保ち続けた人々の姿は、読むほどに深い感動を呼ぶ。「苦しみそのものに意味があるのではなく、苦しみに対する態度に意味がある」というメッセージは、今の時代にこそ必要な一冊。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書は収容所体験の手記であり、英語版にはロゴセラピーの短い紹介が第二部として付く。フランクルは精神科医として、自分が経験したことを症例のように冷静に記述しようと試みる。
手記はアウシュヴィッツの貨車から始まる。何日もすし詰めにされた人々が降り立つと、目の前に立つ将校がほんの一瞬の身振りで右と左に振り分ける。右は労働、左はガス室である。生死がここで指一本の動きで決まる。彼が後で知ったのは、最初の一日で大半の同行者が煙となって消えていたという事実だった。
第一段階は収容ショックである。所持品をすべて取り上げられ、髪と体毛を剃られ、裸の身ひとつだけが残される。それでも囚人たちは状況を笑いに変えようとし、この先に何が待つのかという好奇心にとらわれる。第二段階で生活のリズムができる。極寒のなか靴擦れの足を引きずって作業場に向かう列、古びたパンの一切れを夕食まで取っておくか今食べるかという葛藤。フランクルは細部を淡々と記し、夕焼けを眺めて誰かが世界の美しさをつぶやいた瞬間を書きとどめる。
中盤で印象的な場面が二つ重ねられる。一つは、彼が想像のなかで妻と対話し、愛がどんな状況でも到達可能な人間の最高の形だと悟る場面。もう一つは、収容所全体に絶食が科された日に、仲間たちに向けて、どんな苦境にある者にも見守っている誰か(友人や家族、あるいは神)がいて、その人を失望させないことが期待されている、と語りかける場面である。本書はまた、人生に意味を問うのではなく、人生から問われているのだ、という反転を提示する。
第三段階は解放後の心の揺れであり、即座の喜びは訪れず、長く奪われた自由に戸惑う様が記される。
英語版の第二部では、ロゴセラピーの考えが示される。人間は快楽を追う存在でも権力を求める存在でもなく、何か、誰かのために生きるべき意味を求める存在である。意味は仕事を通じて、愛を通じて、そして変えられない苦しみへの態度を通じて発見される。最後の道、すなわち苦しみを引き受ける態度は、手記の部分で語られた、極限のなかでも残された最後の自由と通じている。
著者
関連する思想
この著作で考えられる悩み
この著作で扱う問い
関連する哲学者と話してみる
