
三島由紀夫
みしま ゆきお(Yukio Mishima)
1925年 — 1970年
美と行動の一致を追求した日本文学の鬼才
この人物について
言葉と肉体、美と死を極限まで追い詰めた戦後日本文学の異端的天才。国際的評価と劇的な最期によって世界に衝撃を残した。
【代表的な著書・業績】
自伝的長編『仮面の告白』で文壇に登場し、美への執着と破壊衝動を描いた『金閣寺』は戦後文学の金字塔となった。『潮騒』『禁色』『宴のあと』など多様な作品を書き、畢生の大作『豊饒の海』四部作は輪廻転生を主題に二十世紀日本の運命を描いている。戯曲『サド侯爵夫人』『近代能楽集』や、天皇への忠義と死を描いた短編『憂国』、評論『文化防衛論』など、戯曲・評論でも一級の業績を残した。
【思想・考え方】
日本の伝統美と武士道精神の復興を唱え、戦後民主主義の精神的空洞を厳しく批判した。美と行動の一致を追求し、言葉だけでなく肉体の鍛錬をも自己形成の中核に据えた。天皇を政治的権威ではなく日本文化の精神的中心として位置づけ、文化こそが国体の核であるとする独自の文化主義的な天皇観を展開した。
【特徴的な点】
1970年に私兵組織「楯の会」を率いて自衛隊市ヶ谷駐屯地で演説し、割腹自殺を遂げた事件は世界に衝撃を与えた。ノーベル文学賞の有力候補でもあり、文学・演劇・映画・ボディビル・剣道と多方面で活動した。
【現代との接点】
さらに深く
【生涯と作品】
三島由紀夫(1925〜1970)は、東京四谷区永住町《えいじゅうちょう》の農林官僚平岡梓《ひらおかあずさ》の長男として生まれた。本名は平岡公威《ひらおかきみたけ》。祖母なつは有栖川宮《ありすがわのみや》家に仕えた経歴を持ち、虚弱な孫を自室に抱え込んで育てたとされる。この祖母との擬似的共生が、後年の文学における虚構と現実の倒錯の原点になった。学習院初等科から中等科・高等科を経て東京帝国大学法学部を卒業し、大蔵省銀行局に入省するも一年足らずで退職、作家専業となった。1949年の『仮面の告白』で文壇に確固たる地位を築き、以後1956年の『金閣寺』で毎日出版文化賞、続いて『鏡子の家』『宴のあと』『憂国』と多彩な主題を展開した。1960年代後半からは民兵組織「楯の会」を私費で組織し、1970年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入、バルコニーから憲法改正と自衛隊決起を訴えた後、割腹して森田必勝《もりたまさかつ》に介錯《かいしゃく》された。
【作品の思想的核心】
『金閣寺』の溝口は、圧倒的な美の前で吃音と醜さを抱え、所有も接近もできない美を焼却することによって逆説的に所有するという倒錯した論理を生きた。『仮面の告白』は、同性愛的欲望を隠すために異性愛の仮面をつける主体の構造を、ロールプレイと自己欺瞞の現象学として描いた。『豊饒の海』四部作は、輪廻転生の連鎖を20世紀日本史の各時期に重ね、最終巻『天人五衰』の結末で記憶と実在そのものを脱構築する大胆な仕掛けを提示した。『文化防衛論』『行動学入門』などの評論では、文化的連続性としての天皇と、行為としての肉体という二つの核を据えた独自の国体論を展開した。
【後世への影響】
川端康成、大江健三郎と並ぶ戦後日本のノーベル賞候補として国際的評価を得た一方、割腹という最期は政治と美学の関係を問い直す世界的事件となった。ドナルド・キーンの英訳を通じて海外読者を広く獲得し、市川崑《いちかわこん》、黒木和雄《くろきかずお》らの映画化、現代演劇、文芸批評の主題として長く再生産されている。松本健一《まつもとけんいち》、椹木野衣《さわらぎのい》、平野啓一郎《ひらのけいいちろう》ら後続の思想家・作家は、三島的なパフォーマンス的主体を21世紀の文脈で読み直している。
【さらに学ぶために】
『金閣寺』が代表作として入門に最適である。佐藤秀明《さとうひであき》『三島由紀夫:悲劇への欲動』は、その人物像と作品世界を手堅く繋ぐ概説書として役立つ。






