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探偵!哲学カワウソ 第八話「溶ける個」

フィロソフィー街に「和」の名で同調圧力が広がる。住民が皆同じことを言い、個性が薄まる事態に、聖徳太子から相談を受けたカワウソ探偵が、日本思想の五人をめぐる。

朝、カワウソは印刷工房に立ち寄った。

すすで黒くなった煉瓦れんがの壁、輪転機りんてんきの低いうなり、煙草の煙。今朝は、カントが散歩の途中で立ち寄っていた。時計を見ながら、入口で立っている。

マルクスマルクスカントカント

「先生、お早うございます」

「カワウソ君、ちょうどよかった。マルクス君が、面白いことを言っている」

マルクスは輪転機の前で、新聞をめくっていた。煤で汚れた手、煙草の灰。

「面白くはない。気持ちが悪い

マルクスは新聞を机に広げた。

「読者投稿欄を見ろ。全員、同じことを書いている

カワウソは新聞を覗き込んだ。投稿者は別々の名前、別々の住所。だが、文面が驚くほど似通っている。

和を以て、街は美しくあるべし 皆で同じ方向を向こう 異を唱える者は、街の調和を乱す

「同じ言葉、同じ調子。個別の声が、消えている」

カントが時計を見て、頷いた。

「私は普遍化を説く。ある行動原理が普遍化されたとき、世界が成立するかを問う、という哲学だ。だが、これは全員が同じ行動原理を持つことを求めるのではない。各人が自分の理性で原理を吟味することを求めるのだ」

「全員が同じ行動原理を反復しているだけでは、普遍化のテストにならない、ということですか」

「そうだ。理性で吟味した結果として、たまたま同じ結論に至るのと、最初から同じ結論を反復させるのは、似て非なるものだ。今、街では後者が起きている」

マルクスが煙草を消した。

「下部構造を見ても変化はない。労働者は普通に働いている。だが、観念の側で、皆が同じ言葉を反芻はんすうしている。これは観念の事件だ」

「依頼は、入っているのですか」

マルクスは机の引き出しから、和紙の手紙を取り出した。

聖徳太子から、お前宛だ。アカデミーの北、古い御殿ごてんに来てほしい、と」

聖徳太子先生」

和をもって貴しとなすを説いた当人から、和の異変について相談したい、とのことだ。皮肉な話だ」

カワウソはバッジを正し、印刷工房を出た。


古い御殿・聖徳太子

街の北、古い木造の御殿。畳敷きの広間の奥に、衣冠束帯いかんそくたい姿の温和な老人が、正座して待っていた。

聖徳太子聖徳太子

「カワウソ殿、よく来てくださった」

聖徳太子は丁寧に礼をした。カワウソも頭を下げ、正面に座った。

「街の異変について、聞いていただきたい」

「お聞かせください」

聖徳太子は静かに語り始めた。

「私は和を以て貴しとなすと説いた者です。これは、異なる意見が出会い、対話を通じて調和に至るという意味です。全員が同じ意見になることを意味するのではありません」

「対話を通じての調和、ですね」

「ええ。ではない。論語にも「君子は和して同ぜず、小人しょうじんは同じて和せず」とあります。和とは、異なる声が一緒にあること。同調は、和の反対です」

聖徳太子は障子の外を眺めた。庭で、街の住民が集まって、同じ歌を歌っている。

「ですが、街では今、和の名で同調が広まっている。私の説いた言葉が、逆の意味で使われています」

「先生のお名前を、誰かが借りている」

「それなら、まだ救いがある。だが、借りた者が、本気で和を歪曲して信じているなら、より深刻です」

「動機がある人物は」

「日本思想の代表者たち。道元禅師ぜんじ親鸞聖人しょうにん吉田松陰先生、西田幾多郎先生、福澤諭吉先生。この五人の誰かが、自分の哲学を街全体に強要している可能性が高い」

「先生ご自身のお立場は」

「私は和を異の集まりとして説いた者です。同調を広めるなど、私の哲学への背反です」

聖徳太子は深く頭を下げた。

「依頼料は私が負担します。に変質する街を、私は見ていられません」

「お引き受けします」

カワウソはメモ帳を取り出した。

容疑者

  1. 道元どうげん只管打坐しかんたざ修証一等しゅしょういっとう
  2. 親鸞しんらん(他力本願、悪人正機)
  3. 吉田松陰よしだ しょういん(至誠、行動の哲学)
  4. 西田幾多郎にしだ きたろう(純粋経験、絶対無)
  5. 福澤諭吉ふくざわ ゆきち(独立自尊、文明開化)

「順番に、話を聞こう」

カワウソは御殿を出た。庭の歌声が、遠ざかっても消えなかった。街全体が、どこかで同じ歌を歌っているようだった。


道元の禅堂

道元は、街の北の山中に建つ小さな禅堂にいた。座禅を組み、ひたすら壁に向かっている。木魚の音だけが響いている。

道元道元

「道元禅師」

カワウソが声をかけても、しばらく反応がなかった。やがて、ゆっくりと目を開いた。

「カワウソ殿か。座られよ」

カワウソは隣に座った。座禅は組めないので、正座した。

「事件のことで来ました」

「ふむ。街の和の異変だな」

「先生のお名前が、容疑として挙がっています」

拙僧せっそうではない」

道元は静かに答えた。

「拙僧は只管打坐しかんたざを説く者だ。ただ、ひたすら座る。座ることに、目的も意味も求めない。修行と悟りは一つ。座ることそのものが悟りである」

「目的も意味も求めない」

「そうだ。拙僧の禅は、何かのためではない。何かのために座れば、それは何かの手段になる。座ることは、それ自体が目的だ」

道元は壁を見つめた。

「街で皆が同じことを言うようになっているそうだが、それは何かのために同じことを言っているのであろう。同調することで、何かの利益を得ようとしている。それは、拙僧の禅とは正反対だ」

「動機は」

「ない。拙僧は座っている。それで足りる」

「では、誰が」

個を消そうとする者ではない。むしろ、個を、より大きな何かに溶かそうとする者だ。拙僧の只管打坐は、個を保ったまま座る。溶かすのではなく、そのまま在る

道元は穏やかに語った。

「拙僧の禅では、座っている自分は座っている。個別の身体が、座っている。それを全体に溶かすのではない」

「ありがとうございました」

「カワウソ殿、最後に一つ。身心脱落しんじんだつらく。身心は脱落するが、個別の存在は脱落しない。脱落するのは、執着だけだ」

道元:禅堂で只管打坐。「個を保ったまま座る」。動機なし。「個を大きな何かに溶かそうとする者」を仄めかす。


親鸞の念仏堂

親鸞は、街の中央、賑やかな大通りの中の小さな念仏堂にいた。庶民に囲まれ、念仏を唱えている。

親鸞親鸞

「親鸞聖人」

「ようこそ、カワウソ殿」

親鸞はカワウソを念仏堂の隅に招き、座らせた。庶民たちは念仏を唱え続けている。穏やかな声が、堂内に満ちている。

「事件のことで来ました」

「街の和の異変であろう」

「街の異変について、先生のお名前も挙がっています」

「私ではない」

親鸞は穏やかに答えた。

「私は他力本願たりきほんがんを説く者だ。自力で悟ろうとする努力を捨て、阿弥陀仏あみだぶつの本願に身を委ねる。これが私の道だ」

「自力を捨て、他力に委ねる」

「そうだ。だが他力に委ねることは、自分を捨てることではない。自分が無力であることを認めた上で、阿弥陀仏に救われる自分の存在は、最後まで残る

親鸞は念仏を唱える庶民を見た。

「街で皆が同じことを言うようになっているそうだが、それが他力の歪んだ姿なら、許せぬ」

「歪んだ姿、というのは」

「他力本願は、自分という個別の存在が、阿弥陀仏に救われる、という形だ。だが、個別の存在を消す形での同調は、他力ではない。それは自他の区別の消失だ」

「自他の区別が消えるのは、悟りでは」

「禅の悟りには、そういう面もあろう。だが、浄土真宗の他力ではない。我らは、罪を持った個別の凡夫として、阿弥陀仏に救われる。罪も個別性も、消えはしない

親鸞は静かに語った。

「動機は、ない。私は念仏堂で庶民と共にいる」

「では、誰が」

個を全体に溶かそうとする者であろう。それは、私の他力本願とは質が違う」

「ありがとうございました」

「カワウソ殿、最後に一つ。悪人正機あくにんしょうき罪深い凡夫こそが、阿弥陀仏の救いの中心である。個別の罪は消えない。むしろ、罪があるからこそ、救われる」

親鸞:念仏堂で庶民と共に。「自分という個別の存在は他力でも残る」。動機なし。「個を全体に溶かす者」を仄めかす。


吉田松陰の塾

街の東、簡素な木造の塾に、吉田松陰がいた。若者たちに囲まれ、熱心に何かを語っている。机の上には、書物と巻紙。

吉田松陰吉田松陰

「松陰先生」

「カワウソ君か。来てくれ」

松陰は鋭い目で迎えた。若さと熱意が、目に満ちている。

「事件のことで来ました」

「街の和の異変だな。私のところにも、塾生たちが噂を持ち込んでいる」

「街で同じ言葉が反復されている件、ご存知ですか」

「私ではない」

松陰は即答した。

「私は至誠しせいを説く者だ。真心を尽くせば、天をも動かせる、と。だが、至誠は個別の魂が、自分の真心で立ち上がることであって、皆が一斉に同じことを叫ぶことではない」

「個別の魂が立ち上がる」

「そうだ。塾生たちには、自分の頭で考え、自分の足で立ち、自分の声で語れと教えている。師の言うことを反復するな、と。塾の壁にも書いている」

松陰は壁を指差した。身を以て知る者を、信ずべしと書かれていた。

「私の至誠は、反復ではない。個別の魂の燃焼だ」

「動機は」

「ない。私は塾生を自分で考えさせることに集中している。同調を広めるなど、私の哲学に正反対だ」

「では、誰が」

「分からん。だが、至誠を反復させるような哲学があれば、それは私のものではない。皆が一斉に同じことを叫ぶのは、至誠ではなく、煽動だ」

松陰は鋭い目をカワウソに向けた。

「私を疑ってもよい。だが、至誠を煽動と区別することは、忘れぬよう」

「ありがとうございました」

「カワウソ君、最後に一つ。獄中にあっても、心は自由だ。和の同調に呑まれぬよう、自分の心を守れ」

吉田松陰:塾で若者に「自分の頭で考えろ」と教える。動機なし。「至誠は煽動とは違う」と強調。


西田幾多郎の研究室

西田は街の西の山中、木造の小さな書斎にいた。机の上には、原稿の山。窓の外、山の木々が静かに揺れている。

西田幾多郎西田幾多郎

「西田先生」

「カワウソ君、ようこそ」

西田は穏やかに迎えた。落ち着いた風貌、深い目。

「事件のことで来ました」

「ええ、知っております」

「率直にお伺いします。先生のお考えは、街の事件と関係がありますか」

「私ではありません」

西田は穏やかに答えた。

「先生のお考えでは」

「私の哲学は純粋経験じゅんすいけいけんです。主体と客体が分かれる前の、根源的な経験。これを説いてきました」

「主体と客体が分かれる前」

「ええ。私たちが何かを見るとき、普段は見る私と見られる物が分かれている、と考えます。だが、そう分かれる前の、純粋な経験がある。赤い花を見る、という体験そのものは、私と花が分かれる前の状態です」

「先生の哲学が街に広まっているのですか」

「広めようとはしてきました。私は善の研究を書き、純粋経験を世に問いました。多くの読者がいます」

「先生のお考えでは、街の同調はどう見えますか」

「私の純粋経験は、主体と客体の区別を超える経験です。自分という意識を一旦消し、より深い場所で世界に触れる。これが、悟りや美的体験に近いものです」

「個別の自分を消すのですね」

消すというより、包む。個別の自分が、より大きな経験の場に包まれる。私はこれを絶対無ぜったいむの場所と呼んできました」

カワウソはペンを取った。

「動機は、ありません。私は研究室で書いている者です」

「ありがとうございました」

「カワウソ君、最後に一つ。純粋経験は、自分を消すのではなく、自分の根源を見る経験です」

西田幾多郎:純粋経験、絶対無の場所を説く。「主体と客体の区別を超える」「個別の自分が大きな経験の場に包まれる」と語る。動機なし。


福澤諭吉の家

最後に、福澤諭吉の家を訪ねた。街の西の洋風の家。机の上には、英書と原稿用紙、そして筆。整った服装、落ち着いた所作。

福澤諭吉福澤諭吉

「カワウソ君、お入りください」

福澤諭吉は丁寧に椅子を勧めた。

「事件のことで来ました」

「ええ、ご存じです。和の名で同調が広がる。困ったことです」

「街の同調、先生はどうご覧になっていますか」

「私ではありません」

福沢は穏やかに答えた。

「私は独立自尊どくりつじそんを説く者です。個人が独立し、自尊心を持って自分で考え、自分で立つ。これが文明社会の基礎だ、と」

「個人の独立」

「ええ。天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と学問のすゝめに書きました。これは、個人が皆、対等に立つという意味であって、皆が一斉に同じことを言うという意味ではありません」

福沢は原稿を置いた。

「街で起きていることは、独立自尊の正反対です。皆が同じ言葉を反復する。個人が消える。文明から、退行している」

「動機は」

「ない。私は独立自尊を広めようとしている者だ。同調を広めるなど、私の哲学への裏切りです」

「では、誰が」

「分からない。だが、個別の独立を、より大きな何かに統合しようとする哲学があれば、それは独立自尊とは反対方向だ」

福沢は窓の外を見た。

「街で歌われている歌、お聞きになりましたか。皆が同じ調子で歌っている。主体と客体の区別が、消えているように聞こえる」

「主体と客体の区別」

「ええ。私が歌っているのではなく、歌が、皆を歌わせている。そういう感じです」

カワウソはペンを止めた。

「ありがとうございました」

「カワウソ君、最後に一つ。個人の独立は、と矛盾しません。独立した個人が、対話で調和に至る。それが本来の和です」

福澤諭吉:独立自尊を説く。動機なし。「主体と客体の区別が消えている」と評する。


印刷工房に戻って

夕方、カワウソは印刷工房に戻った。マルクスはまだ輪転機の前にいた。

「どうだった」

カワウソはメモ帳を広げた。

道元:只管打坐。「個を保ったまま座る」と説く。

親鸞:他力本願。「個別の罪は他力でも残る」と説く。

吉田松陰:至誠。「個別の魂の燃焼で反復ではない」と説く。

西田幾多郎:純粋経験・絶対無。「個別の自分が経験の場に包まれる」と語る。

福澤諭吉:独立自尊。「主体と客体の区別が消えている」と評する。

歩きながら、福沢の言葉が頭に残っていた。主体と客体の区別が、消えているように聞こえる

そして、西田の言葉と重なる。主体と客体の区別を超える経験個別の自分より大きな経験の場包まれる

カワウソは聖徳太子の言葉を思い出した。和は異の集まり同調は和の反対

他の四人は、いずれも自分の哲学は個を保つと語っていた。だが西田だけは、自分の哲学は個を包むと語っていた。

包む保つ。その一字の差が、街の現象とぴたりと重なる。

カワウソはペンを止めた。

街の同調は、西田の純粋経験を実装したときの姿そのものではないか。

「マルクス先生」

「気がついたか」

マルクスは煙草を吸いながら、目を細めた。

「観念の事件は、観念の側に痕跡を残す。お前が見たのは、西田の純粋経験が街で実装されている形だな」

「ですが、西田先生は動機がないとおっしゃいました」

意識的な強要と、広めた結果としての浸透は別だ。自分の哲学が広まった結果を、責任から切り離せはしない」

カワウソは天井を見上げた。

「マルクス先生、街で歌われている歌は、誰が作ったのでしょう」

「俺の工房では刷っていない。だが、街中で同じ歌詞・同じ調子で歌われている。誰かが、口伝くでんで広めたか、あるいは別の印刷所で刷ったか」

「西田先生のところで、もう一度確かめてきます」

「行ってこい」

カワウソはバッジを正した。


再び西田の研究室

西田は、まだ机の前にいた。原稿用紙に、何かを書いている。

「カワウソ君、また来たのか」

「先生、お聞きしたいことがあります」

カワウソは反問の槍を構えた。

「先生にお聞きします。純粋経験は、自分の根源を見る経験だとおっしゃいました。これは、個別の経験ですか、それとも普遍的な経験ですか」

「普遍的、です」

「では、先生の純粋経験を多くの人が同時に体験することは、起こり得ますか」

「起こり得ます。普遍的な経験ですから」

「先生、多くの人が同時に同じ経験をするとき、個別性はどうなりますか」

西田は少し沈黙した。窓の外の山を見て、ゆっくり答えた。

「純粋経験のレベルでは、個別性は包まれます

包まれることと、消えることは、どう違いますか」

包まれるは、より深い場所に統合されること。消えるは、個別性が無になること。違うと、私は説いてきました」

「では、街の住民が同じ言葉を反復しているのは、包まれているのですか、それとも消えているのですか」

西田は、ペンを置いた。少し間を置いて、率直に答えた。

外から見れば、同じに見えます

カワウソは普遍の盾を構えた。

「先生、すべての哲学者が、自分の哲学を普遍的経験として広めたら、世界はどうなりますか

世界中が、ある一つの経験のかたちに包まれます

「それは、先生の純粋経験の理想ですか」

いいえ。理想ではない」

西田は深く息を吐いた。

「私は、個別の経験が、より深い場所に根を持つことを示したかった。個別性を消すことを目指したのではない」

「ですが、個別性が深い場所で包まれるという言い方は、個別性を消すことと外から区別がつきません」

理論の中では区別できる、と私は思っていました」

「先生のされたことは、普遍化可能ですか」

不可能です」

西田は窓の外を見た。山の木々が、静かに揺れていた。一本一本が、別々に。

「私は、純粋経験を理想として語ってきた。だが、それを現実の街で実装することの危うさを、考えていなかった」

「先生」

理論としての純粋経験は、個別性を保ちながら根源で包まれることを意味する。だが、実装としては、個別性が消える方向に流れやすい。外から見れば区別がつかないからだ」

西田は深く頭を下げた。

「街の同調は、私の純粋経験の哲学が、街で実装された姿です。理想は美しかった。実装は、個別性を溶かしてしまった。これは、私の責任です」

「先生」

「私は、理論を実装したときの結果を、考えていなかった。理想と現実のあいだを、私は埋めてこなかった」

カワウソは深く頭を下げた。

「申告書、書いていただけますか」

「ええ、書きます」

西田は筆を取り、白紙の上で手を止めた。窓の外、夕日が、山の木々を別々の影に染めていた。


道元の禅堂、再び

夜、カワウソは道元の禅堂を訪ねた。西田の自白を伝えるために。

道元は、灯りを灯した堂で、まだ座禅を組んでいた。

「カワウソ殿、戻られたか」

「西田先生、自白されました」

「ふむ」

道元は静かに答えた。

「西田殿は、理論の高さに魅入られたのだろう。だが、理論は、座る者の姿で確かめねばならぬ。机の上で組み立てた理想が、街で人を溶かす形になるかどうかは、実際に座ってみないと分からぬ」

道元は、カワウソに向き直った。

「拙僧は、ただ座る理想を立てない。だから、街で歪曲されることもない」

「先生」

「カワウソ殿、君に只管の座を授けよう」

道元は机の隅から、小さな円形の座布団のような物を取り出した。素朴で、温かみがある。

只管しかんの座だ。何かのために座らない、ただ座るための座。理想で世界を組み立てたくなったとき、これに座って、実際の自分を確かめるための座だ」

カワウソは座を受け取った。手の中で、座は静かに重みを持っていた。

「ありがとうございます」

「拙僧は街で、ただ座るを取り戻したい。君と歩めば、それができそうだ」

道元は穏やかに笑った。

修証一等。修行と悟りは、一つだ。座ることが、すでに悟りだ」


印刷工房・夜

夜遅く、カワウソは印刷工房に戻った。マルクスはまだ輪転機の前にいた。

「どうだった」

「西田先生、自白されました。只管の座、頂きました」

「道元か。ただ座る男は、ただ働く男に近い。よい仲間だ」

マルクスは煙草を吸いながら、版下を整理していた。

「マルクス先生、街で歌われていた歌、誰が広めたのでしょうか」

マルクスは煙を吐いた。

口伝で広まった、と街では言われている。だが、口伝の起点は、いつもどこかにある。版下が見つかれば、起点が割れる」

「先生は、版下を集めていらっしゃいますね」

「集めているだけだ」

マルクスは煙を吐いた。煙が、ゆっくり立ち上る。

「明日、見せてやれるかもしれん」

「ありがとうございました」

カワウソは深く頭を下げて、工房を出た。


エピローグ

事務所に戻ると、ヘーゲルサルトルソクラテス、カント、ニーチェ孔子ガリレオ、そしてマルクスの八人がデスクを囲んでいた。

「カワウソ君、解決したか」

「はい。仲間がもう一人増えました」

道元が、戸口から静かに入ってきた。

「皆さん」

「道元禅師か。ただ座る方だな。我らとは違う角度の哲学だ」

「ええ。皆さんと、これから座り合えれば」

カントが時計を見た。

散歩のあと、ただ座る。よき夜だ」

カワウソはメモ帳を広げた。

仲間:9人。 武器:9つ(止揚の鏡、自由の刃、反問の槍、普遍の盾、永劫の輪、実践の鎚、仁の杯、観測の振り子、只管の座)。 学んだ思想:弁証法実存主義、問答法、定言命法、永劫回帰、唯物史観、儒教の仁、近代科学、禅の只管。

カワウソは月を見た。街の北、古い御殿で、聖徳太子の御殿の庭から、もう同じ歌は聞こえなくなっていた。住民が、それぞれ別の調子で、別の歌を口ずさみ始めていた。

街の南、印刷工房の窓に、まだ灯りがともっていた。

(第八話 了)

登場した哲学者