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善

『善の研究』

ぜんの けんきゅう

現代

「純粋経験《じゅんすいけいけん》」から出発した日本初の本格的哲学書

哲学

この著作について

西田幾多郎《にしだきたろう》が1911年に公刊した、日本語で書かれた最初の本格的な哲学書にして日本哲学の金字塔。

【内容】

全4編。主観と客観が分裂する以前の直接的な経験、たとえば「色を見、音を聞く刹那《せつな》」の経験を「純粋経験《じゅんすいけいけん》」と呼び、これこそが唯一の実在であると論じる。考えている自分と考えられている対象が未分化に溶け合う状態から出発し、そこから認識・意志・善・宗教の問題を統一的に説明しようとする。西洋のジェイムズやマッハの経験論と、若き日の参禅体験から得た禅の直観が、一つの哲学として織り上げられる。

【影響と意義】

日本語を使って西洋哲学に対抗しうる体系を初めて構築した仕事として、歴史的な意味を持つ。田辺元、三木清《みききよし》、和辻哲郎《わつじてつろう》、西谷啓治らを擁する京都学派の出発点となり、日本の哲学的伝統の骨格を築いた。海外でも翻訳され、読み継がれている。

【なぜ今読むか】

「音を聞く刹那」から哲学が始まる、という発想は、哲学を遠い抽象論ではなく日常の感覚にぐっと引き寄せてくれる。東と西の境目に立つ独自の視座は、グローバル時代の自分の足場を考えるうえで示唆に富む。

さらに深く

【内容のあらまし】

本書は、西田幾多郎が第四高等学校時代に行った講義の草稿や、雑誌に発表した論文などをもとにまとめたものである。全体を貫く立場は、純粋経験を唯一の実在として、そこから知識、意志、善、宗教を統一的に説明することである。

第一編は純粋経験の分析に充てられる。色を見、音を聞き、何かを思うまさにそのとき、見ている自分と見られているものとはまだ分かれていない。主観と客観に切り分けるのは、後からなされる反省である。原初の経験は主客未分の流動として与えられている。彼はジェイムズやマッハの考えにも触れつつ、純粋経験から出発して実在を考える。意識の連続、注意、思惟の働きが、この純粋経験の自己発展として描かれる。

第二編は実在論である。意識現象が唯一の実在であるとされ、自然は、実在から主観的な統一の側面を捨象して仮定された世界として捉えられる。机という物質も、それを認識する我もなく、最初にあるのは机を見るという出来事の流動である。実在は静的な対象の集まりではなく、自己が自己を展開する活動として捉え直される。ここに彼独自の弁証法的な動的存在論の萌芽がある。

第三編は善を主題とする。善とは外的規則への適合でも快楽の最大化でもなく、自己の内的要求を実現することだと論じられる。善とは自己の発展完成、すなわち人格の実現であるとされる。自己を本当に実現するとは、狭い小我にとどまらず、自己の根底にある人格を生かすことであり、結果として他者の人格と一致するような生き方に至る。倫理学の立場として、彼は権力説などの他律的倫理学説や、合理説、快楽説を検討し、意志の活動を基本とした活動説の立場から、善を自己実現とする考えを示す。

第四編は宗教に充てられる。宗教は単なる超越的な信仰ではなく、自我が小さな殻を破って実在の根源と一つになる経験である。神は外にある人格的存在というよりも、純粋経験の根底において自己と一致するものとして語られる。彼は若き日の参禅の体験を踏まえ、東洋の見方と西洋の哲学を一つの言語で語ろうとする。

結びの「知と愛」の章では、知ることと愛することは同一の精神作用であると説かれる。日本語で哲学を建て直すという企てが、ここに最初の体系的な姿を取って閉じる。

著者

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