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近代日本

福澤諭吉

ふくざわ ゆきち(Fukuzawa Yukichi)

1835年1901年

『学問のすゝめ』の近代日本の啓蒙思想家

啓蒙主義独立自尊実学
福澤諭吉

この人物について

「独立自尊」を掲げ、学問の力で日本の近代化を牽引した明治啓蒙思想の第一人者。慶應義塾の創立者として知られる。

【代表的な著書・業績】

学問のすゝめは当時の日本で累計三百万部以上が読まれたとされる啓蒙書であり、身分にかかわらず個人が学ぶことで独立できると説いた。文明論之概略では文明の本質を「人民の精神の発達」として捉え直し、福翁自伝は幕末から明治に至る激動の時代を生きた知識人の肉声を伝えている。幕末に三度欧米を訪れた体験が思想の土台となった。

【思想・考え方】

個人の精神的・経済的自立を意味する「独立自尊」を生涯の信条とし、個人が自ら立ってこそ国家も独立しうるという個人と国家を結ぶ発想を打ち出した。西洋の制度や技術をそのまま移入するのではなく、精神の自由と独立こそが真の近代化であると考え、官尊民卑を批判して民間の力による社会変革を重視した。実学を重んじ、学問と実生活の結びつきを説いた。

【特徴的な点】

官職への誘いを固辞して在野に身を置き続け、言論と教育だけで社会に影響を与え続けた点で、官学中心の日本近代においては異色の存在である。

【現代との接点】

教育による社会的流動性の確保、個人の自立と公共精神の両立、国際社会における日本の位置づけなど、福澤が提起した課題は今日の日本社会にも残り続けている。

さらに深く

【生涯と行動】

福澤諭吉は1835年、大坂の中津藩蔵屋敷に下級武士の息子として生まれた。封建的身分制度の理不尽さを幼少期から痛感していたという。大坂で緒方洪庵《おがたこうあん》の適塾に学び蘭学を修めたが、横浜で外国人との会話に自分の蘭学が通じない現実に直面し、一夜にして英語学習へと転じた。一八六〇年の咸臨丸《かんりんまる》渡米を皮切りに幕末に三度、欧米を歴訪し、西洋社会の制度と精神を直接観察した。維新後は官職への誘いを固辞し、一八五八年に開いた蘭学塾を母体として慶應義塾を育て、在野の言論人として著述と教育に生涯を捧げた。一九〇一年に六十六歳で没した。

【政治思想の核心】

福澤が掲げたのは、個人の精神的・経済的自立を意味する「独立自尊」の理念である。封建的な上下関係への依存を断ち、各人が実学を身につけて自ら立つ。この個人の自立が積み重なってはじめて国家の独立も成り立つ、という個人と国家の接続が政治思想の骨格をなす。『文明論之概略』ではギゾーやバックルの文明史を参照しつつ、文明の本質を技術や制度の移入ではなく「人民の精神の発達」に求めた。官民調和・民間独立の重要性を説いて官尊民卑を批判し、民権と国権のバランスを追求した。晩年の「脱亜論」に見られる対外認識は今日なお論争の的である。

【影響と評価】

『学問のすゝめ』初編は当時の日本で累計三百万部以上が読まれたとされ、人口比で見れば驚異的な普及率である。この啓蒙の熱は自由民権運動から大正デモクラシーに至る日本近代の言論空間の素地を用意した。慶應義塾は現在に続く高等教育機関となり、門下からは尾崎行雄、犬養毅、小泉信三ら多彩な人材を輩出している。戦後は丸山眞男《まるやままさお》が近代的主体の先駆者として福澤を位置づけ直し、その評価を確立した。他方、脱亜論や女性論に対しては批判的再検討も続いており、多面的な読解の対象であり続けている。

【さらに学ぶために】

学問のすゝめは平易な文体で書かれた啓蒙書であり、現代日本語でも十分に読める。岩波文庫版が入手しやすい。福翁自伝は自身の生涯を語った自伝で、幕末明治の激動を生き生きと伝える名著である。丸山眞男文明論之概略を読む(岩波新書)は福澤の政治思想を精密に読み解く名著として合わせて薦められる。

主な思想

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著作学問のすゝめ

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著作文明論之概略

福澤諭吉の文明論

著作福翁自伝

福澤諭吉が自らの生涯を語った自伝

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