
レフ・トルストイ
Leo Tolstoy
1828年 — 1910年
非暴力と道徳的生を追求したロシア文学の巨人
この人物について
文学と思想の両面で人類の良心を体現したロシアの偉大な作家。世界文学史に屹立する大長編と後半生の宗教的著作で知られる。
【代表的な著書・業績】
『戦争と平和』はナポレオン戦争を背景に貴族社会の盛衰と歴史哲学を描いた壮大な歴史小説であり、『アンナ・カレーニナ』は愛と社会の葛藤を描いた近代小説の傑作である。後半生の宗教的回心を綴った『懺悔』、短編『イワン・イリイチの死』、晩年の長編『復活』、非暴力を説く『神の国は汝らの内にあり』など、文学と宗教思想をまたぐ広大な作品群を残した。
【思想・考え方】
50代に深い精神的危機を経験し、教会組織を離れて山上の垂訓に象徴される原始キリスト教の教えに立ち返った。国家・教会・私有財産を否定し、非暴力・単純な生活・隣人愛の実践を説いた。芸術の目的は人々の間に善なる感情を伝達することであると論じ、自身の文学観をも根本から問い直した。権力による暴力への加担を拒むことこそ真の倫理だとした。
【特徴的な点】
伯爵の地位と莫大な財産を持ちながら、農民的な素朴な生活を追求した矛盾と格闘し続けた。生涯の最後には家族と決別して家出し、駅舎で客死した劇的な終焉でも知られる。
【現代との接点】
さらに深く
【生涯と作品】
レフ・トルストイ(1828〜1910)は、トゥーラ県ヤースナヤ・ポリャーナの伯爵家に生まれた。2歳で母を、9歳で父を失い、親戚の家々を転々とするなかで宗教的敬虔と貴族的自由人の気質が混ざりあった。カザン大学を中退してコーカサスの軍務に志願し、クリミア戦争ではセヴァストーポリ防衛戦に従軍、その体験は『セヴァストーポリ物語』に結晶した。帰郷後は領地経営と農奴の子弟のための学校運営に取り組みつつ、1862年にソフィヤ・ベルスと結婚、13人の子を成しながら『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』を書き上げた。1879年頃の「アルザマスの恐怖」と呼ばれる死の実感を契機に精神的転向を経験し、以後は『わが信仰はいずれにありや』『天国はあなたがたのうちにある』などの宗教的著作に転じ、1910年10月、妻との確執から家出して鉄道駅アスターポヴォで肺炎により82歳で没した。
【作品の思想的核心】
前期の二大長編は、個人の選択と偶然の連鎖が歴史という広大な織物を成すという独自の歴史哲学を提示した。『戦争と平和』におけるナポレオンの相対化と、無名の兵士や下女の生の等価な重みは、ヘーゲル的な世界史の英雄史観への文学的反論である。後期の「単純化」へと向かう倫理思想は、山上の垂訓の「抵抗せざれ」の原則を文字どおりに取り、国家の徴兵権と教会の秘蹟権威の双方を否定した。芸術の目的を善なる感情の伝達に置いた『芸術とは何か』は、シェイクスピアやベートーヴェンまで断罪する徹底性を示し、後のモリス、ブレヒト、ベンヤミンの芸術社会論と響きあう。
【後世への影響】
ガンディーは『天国はあなたがたのうちにある』に感化され、サーバルマティ・アシュラムでの共同生活と非暴力抵抗の出発点とした。キング牧師、日本の武者小路実篤《むしゃのこうじさねあつ》の新しき村運動、現代のシンプル・リヴィング運動、良心的兵役拒否の法理にも、その禁欲と平和の思想の痕跡が読み取れる。ヴィトゲンシュタインは戦地でトルストイの『要約福音書』を携えて精神の均衡を保ったと伝えられ、哲学と文学の越境的な影響史を象徴している。
【さらに学ぶために】
『アンナ・カレーニナ』は読み進めやすい現代訳である。藤沼貴《ふじぬまたかし》『トルストイの生涯』が生涯と思想を総覧する標準的評伝として手に取りやすい。








