専門編 · 思想運動と流派 · 第94章
ポスト構造主義:構造を揺さぶる思考
1966年10月、メリーランド州ボルチモアのジョンズ・ホプキンス大学で開催された国際会議「批評の言語と人間の科学」は、フランス哲学を北米に紹介する歴史的場面となりました。ロラン・バルト、ジャック・ラカン、ジャン・イポリット、そして36歳の無名のジャック・デリダが参加した。会議の最後にデリダが提出した論文「人間科学の言説における構造、記号、戯れ」が、ポスト構造主義の到来を告げました。
構造主義からの離脱 — レヴィ=ストロースとラカン
ポスト構造主義の前提となる構造主義は、1950-60年代のフランスで、ソシュール言語学を起点として人類学・文学・精神分析に拡張されました。レヴィ=ストロースは『悲しき熱帯』『野生の思考』で、神話・親族関係・料理が二項対立の体系として組織されることを示します。世界に潜む見えない構造を発掘するこの方法が、当時のフランス知識人を魅了しました。
ジャック・ラカンはフロイト精神分析を構造主義的に再解釈し、無意識を「言語のように構造化されている」と論じました。鏡像段階・象徴界・想像界・現実界という独自の概念枠で、彼はパリで毎週のセミネールを開き、フランス知識人を半世紀にわたって惹きつけ続けます。構造主義は強力な分析装置でしたが、その背景には不変の構造を立てる傾向への疑問が芽生え始めていました。
デリダ — 脱構築と差延
1967年、デリダは『声と現象』『エクリチュールと差異』『グラマトロジーについて』の三冊を同時刊行します。彼が攻撃したのは、プラトン以来の西洋哲学を貫く「現前の形而上学」、つまり意味は話者の意識のうちに「現前」として直接与えられるという暗黙の前提でした。
デリダの「差延(différance)」概念は、意味が他の記号との差異と、解釈の遅延(déférer)を通じてしか成立しないことを示します。書かれた言葉は話された言葉の派生物ではなく、その逆です。「脱構築(déconstruction)」と呼ばれる読解法は、テキストが自分自身を内側から覆していく契機を取り出す技法として、文学批評・建築・法理論にまで広がっていきました。
クリステヴァ・リオタール — 異質さと大きな物語の終わり
ブルガリア出身のジュリア・クリステヴァは、1969年の『セメイオチケ』で記号論を精神分析・身体性と接続させました。「アブジェクト」という概念で、社会の象徴秩序が排除しようとする身体的・感情的な異質さを分析する仕事は、フェミニズム理論に深い影響を与えています。
ジャン=フランソワ・リオタールは1979年の『ポストモダンの条件』で、近代を支えてきた「大きな物語(grand récit)」、すなわち啓蒙の進歩、解放、絶対精神、全体化された科学が、もはや信を失ったと診断しました。これに代わって、無数の小さな言語ゲームが並列する状況が現代だ、と。リオタールはポストモダン哲学の名付け親として、現代の文化論の語彙を提供しました。
ポストモダンへの拡張と批判
ポスト構造主義はやがて「ポストモダン」と呼ばれる広範な文化現象の理論的支柱となります。建築のヴェンチューリ、文学のピンチョン、フェミニズムのバトラー、社会学のボードリヤール、哲学のローティ。それぞれが固有の仕方でポスト構造主義の遺産を引き受け、客観性・主体・本質という近代の概念を脱中心化していきました。
1990年代以降、ハーバーマスはポスト構造主義を「新しい保守主義」として批判し、ノーム・チョムスキーはデリダ・ラカンを「学術的ペテン」と断罪します。1996年のソーカル事件で物理学者アラン・ソーカルがポストモダン雑誌に偽論文を載せた一件は、論争の決定打となりました。それでもポスト構造主義の遺産は、現代の批判理論・文化論・ジェンダー研究の基底に流れ込んでいます。次章では、ロールズ以後の英米政治哲学に進みます。
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