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『エクリチュールと差異』

えくりちゅーるとさい

現代

脱構築の方法を文学批評で実践したデリダ初期三部作の一つ

哲学

この著作について

ジャック・デリダが1967年に『声と現象』『グラマトロジーについて』と同時に公刊した論集。初期デリダを代表する三部作の一つで、哲学・文学・人類学・精神分析の諸領域に脱構築的読解を適用した、現代思想の記念碑的作品である。

【内容】

全11の論文を収める。レヴィナスの他者論、アルトーの残酷演劇、デカルト・フロイトの自己存在論、バタイユの過剰、レヴィ=ストロースの人類学などを、それぞれのテクスト内部に潜む矛盾と亀裂を精密に追跡することで読み解く。各テクストに内在するロゴス中心主義の徹底的解体を通じて、「エクリチュール(書かれたもの)」と「差異」が西洋形而上学を裏側から支えている基層として浮かび上がる。

【影響と意義】

文学理論、ポストコロニアル研究、フェミニズム批評、法哲学、比較文学の多くがこの論集から出発した。特に「フロイトとエクリチュールの舞台」は精神分析批評の古典、「構造・記号・遊び」は構造主義批判の金字塔。

【なぜ今読むか】

読むことの技法としての脱構築を学ぶ最良の実例集。AI による大量生成テクストのなかで「読むとは何か」が問われる時代に、精密な読解の模範として立ち返る価値がある。

どの訳で読むか

いま版元に在庫があるのは、2022年に出た谷口博史訳の改訳版で、全11篇を1冊に収め、人名索引がつく。2013年の合田正人・谷口博史訳(新訳)と、1977年と1983年に上下2冊で出た若桑毅らの訳は、どちらも版元で絶版と表示されている(2026年10月時点)ので、図書館などで探すことになる。論文の題は訳ごとに少しずつ違い、改訳版の「吹きこまれ掠め取られる言葉」は、旧訳では「息を吹き入れられたことば」にあたる。

  • 谷口博史訳(改訳版)法政大学出版局・叢書・ウニベルシタス1143、2022年

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    四六判上製、654頁。全11篇を1冊に収め、巻末に初出一覧、訳者あとがき、人名索引がつく。版元は「全面的に訳文を改訂、さらに読みやすくなった新版」と紹介している。第8篇の題は「残酷演劇と再現前化の閉鎖」。版元ドットコムでは在庫ありと表示されている(2026年10月時点)。

  • 合田正人・谷口博史訳(新訳)法政大学出版局・叢書・ウニベルシタス1000、2013年

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    四六判上製、634頁。版元は、叢書・ウニベルシタスが1000番に届いた記念の新訳と紹介している。初出一覧と、合田正人の訳者あとがきがつく。第8篇の題は「残酷演劇と再現前化の閉域」で、改訳版とは訳語が違う。版元ドットコムでは絶版と表示されている(2026年10月時点)。

  • 若桑毅ほか訳(旧訳、上下2冊)法政大学出版局・叢書・ウニベルシタス79・80、上巻1977年・下巻1983年

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    四六判上製で、上巻は378頁、下巻は296頁。版元の紹介では、上巻は「力と意味」「コギトと『狂気の歴史』」「エドモン・ジャベスと本の問題」「暴力と形而上学」など5章、下巻は「息を吹き入れられたことば」「フロイトとエクリチュールの舞台」「残酷劇と上演の封鎖」「人文科学の言語表現における構造と記号とゲーム」など6章を収める。訳者は上巻が若桑毅・野村英夫・阪上脩・川久保輝興、下巻が梶谷温子・野村英夫・三好郁郎・若桑毅・阪上脩。上下とも版元ドットコムでは絶版と表示されている(2026年10月時点)。

さらに深く

【内容のあらまし】

1959年から1966年までに書かれた論文に、書き下ろしの「省略」を加えた11篇からなる。巻頭の「力と意味作用」は、ジャン・ルーセが作家たちを構造主義のやり方で秩序づけた仕事を読み、そこから抜け落ちた力を名指す。

「コギトと狂気の歴史」は、1963年にフーコー本人も聴くなかで読まれ、二人のあいだに癒えない亀裂を生んだ講演だ。冒頭の引用の一つはキルケゴールの「決断の瞬間は狂気である」で、本文は、フーコーが『狂気の歴史』第2章の冒頭2ページ半でデカルトを、狂気を沈黙させた出来事と結びつけた箇所を問い直す。悪霊の仮説まで進めば、狂っていようといまいと「私は考える、私はある」は成り立つ。デカルトの理性は狂気を退けたのではなく、その脅威を認めていたという。

「エドモン・ジャベスと書物の問い」は、ジャベスが詩に引くユダヤの伝統と、人が歴史に入る印としての書くこととを結びつける。集中で最も長い「暴力と形而上学」は、他者をめぐるレヴィナスの思考に深い共感を示しつつも距離を取り、顔と顔の対面だけが倫理的だとする考えに異を唱えて、書くこともそれに劣らず価値ある場になりうると論じる。結びでは、おそらく近代の小説家でもっともヘーゲル的だとするジョイスの一句を引き、人はギリシア人とユダヤ人の差異のなかに生き、その差異を歴史と名づけるとする。1959年にスリジー=ラ=サルで読まれた「「発生と構造」と現象学」では、構造は発生をもたねばならず、発生の起点はすでに構造化されていなければならないのではないか、と問う。

後半はアルトー論2篇がフロイト論を挟む。「吹きこまれ掠め取られる言葉」は、舞台のプロンプターにも掛けた題のもとで、誰かに吹きこまれる言葉を拒むアルトーを読む。「フロイトとエクリチュールの舞台」は、上の膜を持ち上げれば書いたものは消えても下の層に跡が残る筆記具を手がかりに、痕跡としての書くことを考える。「残酷演劇と再現前化の閉鎖」は身振りを台詞より先に置く演劇を論じ、「限定経済から一般経済へ」は、バタイユがヘーゲルの主と奴の弁証法をずらしたところに、至高性という鍵となる語を見いだす。

1966年にジョンズ・ホプキンズ大学で読まれた「人間科学の言説における構造、記号、遊び」は、構造の概念の歴史に出来事と呼べる何かが起きたのかもしれない、と書き出す。レヴィ=ストロースのブリコラージュを受けて、言語の全体を自分でつくる技師こそ神話だと言い、壊れた直接性を嘆くルソー的でノスタルジックな面と、遊びを肯定するニーチェ的な面を、遊びの思考の二つの面として示す。最後の「省略」で、論集は再びジャベスへ戻る。

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