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ジャック・デリダ·現代

デリダが脱構築の方法を展開した代表的著作。ロゴス中心主義と書字の関係を問い直す

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哲学

この著作について

ジャック・デリダが三十代半ばに刊行し、脱構築という方法を世界的な哲学の流儀として確立させた代表的主著。

【内容】

本書は二部構成をとる。第一部「書かれたものの前の文字」では、プラトン以来の西洋哲学が「話された言葉(声)は書かれた言葉(文字)よりも根源的である」という音声中心主義(フォノセントリスム)を暗黙の前提にしてきたことが指摘される。ソシュールアリストテレスヘーゲルらの議論が丁寧に読解され、書字を二次的な道具と見なす論じ方そのものが、ロゴス中心的形而上学と結び付いていることが示される。第二部ではルソー言語起源論告白、さらにレヴィ=ストロースの人類学が取り上げられ、「補綴(サプレマン)」「差延(ディフェランス)」「エクリチュール(書)」の概念を鍵に、テクストに潜む亀裂を暴き出す脱構築的読解が実践される。

【影響と意義】

文学理論、フェミニズム、ポストコロニアル研究、建築・メディア論に大きな影響を与え、ポスト構造主義を代表する書物の一つとなった。デリダの仕事は難解で毀誉褒貶もあるが、本書は彼の基本的な発想を原典から知る最短距離にある。

【なぜ今読むか】

テクストやイメージが無限に複製・変形される現代の情報環境は、ある意味で本書が予告した「書の優位」の時代そのものとも読める。哲学の前提を根本から揺さぶるデリダの営みは、今なお刺激的な思考の訓練になる。

さらに深く

【内容のあらまし】

本書はデリダが三十代半ばに刊行した著作で、二部構成という見た目以上に複雑な織り目を持つ。第一部「書かれたものの前の文字」と題された理論篇、第二部はルソーをめぐる長大な読解で、両者は離れた話題のようでいて、底で同じテーマを共有している。

第一部の冒頭で、西洋哲学の長い伝統が「音声中心主義(フォノセントリスム)」のもとに置かれていたことが示される。プラトン、アリストテレス、ヘーゲル、ソシュールに至るまで、話された言葉は思考と直結した「生きた声」とされ、書かれた文字はその声の記録、二次的な代用品として位置づけられてきた。デリダは、ソシュールが一般言語学講義で文字を「危険」「侵入」と呼ぶ箇所を執拗に分析する。なぜソシュールは、自分が打ち立てた記号の差異の体系のなかで、文字だけを外側に押しやろうとしたのか。そこに、形而上学全体に潜む「現前への欲望」が露呈する、と彼は読む。

中盤で導入されるのが「差延(ディフェランス)」である。これは綴りの上で eと aの違いがあるが、発音上は区別できない、というデリダ特有の仕掛けである。意味は差異と遅延の二重の運動のなかで生じる。完全な現前、純粋な意味の核は決して与えられず、いつも別の記号への参照のなかで先送りされていく。これが本書全体の動力となる。「エクリチュール」の概念も拡張され、書かれた文字だけでなく、音声を含む差異の網そのものを指すようになる。

第二部はルソーをめぐる長い読解である。『言語起源論』では、言語は本来、情念に満ちた歌のような声として始まったが、文字の発明によって堕落したと語られる。ルソーは文字を「補足」と呼ぶが、その補足が実は本物の声に内側からすでに食い込んでいることを、デリダは『告白』のオナニズムの場面と並行に読み解く。続いて、レヴィ=ストロースが悲しき熱帯で書く「文字を持たない先住民」の挿話が分析され、無垢な口承文化と暴力的な文字文明の二項対立そのものが、内側から崩されていく。

本書を読み通すと、テクストは一つの中心的意味へ収束するのではなく、絶えず脇道へずれ続けるものだという感覚が残る。それこそ脱構築の方法そのものである。

著者

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