
ジュディス・バトラー
Judith Butler
1956年 — 存命
ジェンダーのパフォーマティヴィティの哲学者
この人物について
ジェンダーを「演じること」として再定義し、アイデンティティの固定観念を根底から揺さぶったクィア理論の旗手。
【代表的な思想】
■ ジェンダーのパフォーマティヴィティ
主著『ジェンダー・トラブル』の核心概念。ジェンダーは生物学的に決定される本質でも内面的な属性でもなく、日常的に繰り返し演じられる行為(パフォーマンス)の蓄積によって構築される。性別は「である」ものではなく「する」ものであるとした。
■ セックスの文化的構築
生物学的性差(セックス)すらも文化的・言説的に構築されたカテゴリーであると論じ、自然と文化の二項対立そのものを問い直した。
■ 生のあやうさ(precariousness)
後期の倫理的転回において、すべての生命が持つ脆弱性と傷つきやすさに着目し、どの生が追悼に値するとされ、どの生が見えなくされるかという政治的問題を提起した。
【特徴的な点】
ボーヴォワールの「人は女に生まれるのではない」をさらに急進化し、フーコーの権力分析とデリダの脱構築を統合した。フェミニズムの「女性」という主体カテゴリーそのものを問い直した点で、従来のフェミニズムとも緊張関係にある。
【現代との接点】
LGBTQ+の権利運動やトランスジェンダーの問題、ノンバイナリーなアイデンティティの承認など、性とジェンダーをめぐる現代の社会変革に決定的な理論的基盤を提供している。
さらに深く
【思想の形成】
ジュディス・バトラー(1956〜)は、オハイオ州クリーヴランドのハンガリー系・ロシア系ユダヤ人の家に生まれた。母方の親族の多くがホロコーストで失われた家族史が、排除と生存をめぐる問いを幼年から身近にした。14歳からシナゴーグのラビに倫理学の個人指導を願い出てスピノザ、キルケゴール、ブーバーを読み、イェール大学でヘーゲルの欲望概念を主題とする博士論文をまとめた。1980年代にはアドリエンヌ・リッチ、ボーヴォワール、フーコー、デリダの読解を通じ、言語行為論と身体・権力の接続を探る独自の理論を育てた。カリフォルニア大学バークレー校で長年教鞭をとり、現在はコロンビア大学で比較文学を講じている。
【思想的意義】
核心は、ジェンダーを内面の本質でも生物学的事実でもなく、繰り返される行為のなかで遡行的に構築される効果として捉え直した点にある。『ジェンダー・トラブル』の遂行性の理論は、主体がある性別であるのではなく、反復される身体的・言語的実践によって性別を為していくと論じ、男らしさ女らしさを自然な起源から切り離した。生物学的性差自体が文化的カテゴリーの内部で意味を得るという主張は、セックスとジェンダーの二分法を揺り動かした。『生のあやうさ』『戦争の枠組』では、どの生が追悼に値するものとして枠づけられ、どの生が見えなくされるかという問いに射程を広げ、脆弱性と相互依存を倫理と政治の基盤として再構築した。
【影響と継承】
フェミニズム内部からは女性という主体の基盤を掘り崩すとの批判が寄せられ、ナスバウムは実効的政治の不在を指摘した。しかしLGBTQ運動、トランスジェンダーの承認、非暴力論、パレスチナ問題をめぐる公共的発言を通じて、その思想は実践的な強度を示し続けている。スピヴァクのポストコロニアル批評、アガンベンのむき出しの生の議論とも相互参照の関係にある。
【さらに学ぶために】
竹村和子《たけむらかずこ》『フェミニズム』が周辺地図を描いてくれる入門である。当然視された性別規範の違和感を言葉にしたいとき、バトラーの遂行性の概念は具体的な足場を与えてくれる。

