「汝の在るところのものになれ」
ニーチェ近代
ニーチェがピンダロスの詩句を組み替え、『悦ばしき知識』で良心の声として書いた言葉。
この言葉について
さらに深く
【出典】
元の句はニーチェではなく、古代ギリシアの詩人ピンダロスのものである。シラクサのヒエロンの戦車競走での勝利を祝った『ピュティア祝勝歌』第2歌72行に、γένοι᾽ οἷος ἐσσὶ μαθών(ゲノイ・ホイオス・エッシ・マトーン、学んで、あなたであるところのものになれ)とある。ニーチェはこれを自分の言葉に組み替え、1882年の『悦ばしき知識』第270節で、君の良心は何と言うかという問いに、君は君であるところの者になるべきだ、と答えさせた。第335節でも、自分自身に法を与え、自分自身を創る者として、我々は我々であるところの者になりたい、と書いている。
【よくある誤解】
ありのままの自分でいい、という意味で使われがちだが、ピンダロスの句には学んで(マトーン)という語が入っており、自分が何者であるかを知ることが前提になっている。ニーチェはさらに逆説的である。自伝的著作『この人を見よ』に、人はいかにして自分であるところのものになるか、という副題を付け、本文では、人が自分であるところのものになるには、自分が何であるかをまるで予感していないことが前提になる、と書いた。その観点からは、人生の失敗や回り道、遅れにもそれぞれの意味と価値がある、と続く。あらかじめ決まった本当の自分を探すのではなく、生きる過程でなっていくものとして語られている。
【この言葉のその後】
さかのぼれば、ニーチェは1870年代の『反時代的考察』の一篇「教育者としてのショーペンハウアー」でも、群衆に属したくない人は自分に甘くするのをやめ、君自身であれ、と呼びかける良心に従えばよい、と書いていた。20世紀には、ハイデガーが1927年の『存在と時間』第31節でこの句を取り上げた。人間(現存在)は、自分の可能性へと自らを投げかける理解によって成り立ち、自分がなるもの、またはならないものであるからこそ、自分に向かって、汝があるところのものになれ、と言える、と論じている。その直前では、現存在は自分の存在可能においてまだそうでないものを、実存としてはすでにそうなのだ、と書いている。
この言葉を残した人物
ニーチェのほかの名言
「人生」の名言
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、歴史は変わっていただろう」
パスカルが『パンセ』で、恋の小さな原因が世界を動かすことを例に、人間の空しさを示した一節。
「大器晩成」
老子が『老子』第41章で、道の逆説的な在り方を並べる中に記した、大きな器は遅れて成るという句。
「他者は地獄だ」
サルトルの戯曲『出口なし』で、死後の密室に閉じ込められた登場人物が口にする台詞。
「天上天下唯我独尊」
ブッダが生まれてすぐ七歩歩いて唱えたと伝わる、自らを世界の最上の者とする宣言の言葉。
「諸行無常」
ブッダの教えとして経典に伝わる、形づくられたものはすべて移り変わるという仏教の基本の句。
「一切皆苦」
ブッダの教えを四つの句にまとめた四法印の一句で、作られたものはすべて苦だと説く言葉。