「運命を愛せ」
ニーチェ近代
ニーチェが『悦ばしき知識』で、必然的なものを美しいと見て愛そうと書いた言葉。
この言葉について
さらに深く
【出典】
本人の著作にある。ラテン語の amor fati(アモール・ファーティ、運命への愛)は、1882年の『悦ばしき知識』第4書の冒頭、年の初めの願いとして書かれた第276節に出る。ニーチェはそこで、事物の必然的なものを美しいものとして見ることをもっと学びたいと書き、Amor fati: das sei von nun an meine Liebe!(アモール・ファーティ、これを今後わが愛としよう)と続ける。この語は前年1881年の遺稿にすでに現れ、必然的なものを愛せ、という言葉に amor fati を添えて、これが自分の道徳になるだろうと記している。同じ年の別のメモでも、アモール・ファーティを私の最後の愛にしよう、と書いた。
【よくある誤解】
運命だから仕方がないとあきらめて耐えよ、という教えと取られやすいが、ニーチェの言い方はもっと積極的である。活動の最後の年に書いた『この人を見よ』では、amor fati を人間の偉大さを表す私の定式と呼び、何ひとつ違うものであってほしいと望まないこと、前にも後ろにも永遠に、と説明したうえで、必然的なものをただ耐えるのではなく、ましてや隠すのでもなく、愛することだと言う。一方で第276節は、醜いものに戦いを挑まず、告発する者さえ告発しない、目をそらすことを唯一の否定にしたい、とも書く。裁き、告発することから離れる点に、この愛の特徴がある。
【この言葉のその後】
さかのぼれば、ストア派の哲学者エピクテトスの『提要』第8章に、出来事が自分の望みどおりに起こることを求めず、起こるとおりに起こることを望め、という一節があり、考え方は近い。しかしニーチェはこのラテン語の言い回しを自分の定式と呼び、『この人を見よ』では、amor fati は私の最も内なる本性だ、とも書いた。この本は1888年に書かれ、出版はそのあとのことである。今日の研究でも、生の肯定はニーチェの価値観の柱の一つに数えられ、その主題は『悦ばしき知識』第4書冒頭の amor fati への献身とともに力強く現れるとされる。
この言葉を残した人物
ニーチェのほかの名言
「人生」の名言
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、歴史は変わっていただろう」
パスカルが『パンセ』で、恋の小さな原因が世界を動かすことを例に、人間の空しさを示した一節。
「大器晩成」
老子が『老子』第41章で、道の逆説的な在り方を並べる中に記した、大きな器は遅れて成るという句。
「他者は地獄だ」
サルトルの戯曲『出口なし』で、死後の密室に閉じ込められた登場人物が口にする台詞。
「天上天下唯我独尊」
ブッダが生まれてすぐ七歩歩いて唱えたと伝わる、自らを世界の最上の者とする宣言の言葉。
「諸行無常」
ブッダの教えとして経典に伝わる、形づくられたものはすべて移り変わるという仏教の基本の句。
「一切皆苦」
ブッダの教えを四つの句にまとめた四法印の一句で、作られたものはすべて苦だと説く言葉。