「天上天下唯我独尊」
ブッダ古代
ブッダが生まれてすぐ七歩歩いて唱えたと伝わる、自らを世界の最上の者とする宣言の言葉。
この言葉について
さらに深く
【出典】
ブッダ(釈迦)が生まれた直後に唱えたという誕生伝説の言葉で、伝承として伝わるものである。パーリ語の中部経典第123経では、生まれたばかりの菩薩が両足で地に立ち、北を向いて七歩進み、白い傘をさしかけられて四方を見渡し、私は世界の最上の者である、これが最後の生であり、もはや再び生まれることはない、と言う。漢文の文献では、後漢に訳された『修行本起経』が「天上天下、唯我為尊。三界皆苦、吾当安之」(天の上にも下にも、ただ我のみ尊い。三界はみな苦しみであり、私がこれを安らかにしよう)とし、玄奘の『大唐西域記』は、天上天下唯我独尊、これより後は生まれることが尽きた、と記す。今の四字の形は後者と同じである。
【よくある誤解】
「我」を釈迦個人ではなくすべての人と読む解釈は、古い経典の文には書かれていない。パーリ経典では、生まれた菩薩自身が世界の最上の者だと宣言し、続けてこれが最後の生だと言う。輪廻を終える者としての宣言である。漢訳の『長阿含経』は、過去の仏である毘婆尸(びばし)菩薩の誕生の場面にこの言葉を置き、天の上にも下にもただ我のみ尊い、必ず衆生を生老病死から救おう、と言わせたうえで、これは常のきまりであると記す。同じ経はこの場面全体を、諸仏に共通する常のきまりとして語っている。すべての人を指すという読み方は、これらの経典の文からは出てこない。
【この言葉のその後】
日本では、右手で天を、左手で地を指す誕生仏の像として親しまれてきた。百科事典によれば、誕生仏の作例は飛鳥時代の末から見られ、東大寺に伝わる誕生仏と灌仏盤が代表作とされ、現存する像では東大寺などに伝わる8世紀のものが名高い。釈迦の誕生日とされる4月8日の灌仏会(花祭)では、この像に香水や甘茶を注いで誕生を祝う。百科事典には、この言葉の意味を、わたくしは世の中の最勝者である、と説明するものもある。一方で国語辞典は、「唯我独尊」の二つ目の意味として、自分だけが特別にすぐれているとうぬぼれること、ひとりよがり、を載せている。もとの宗教的な宣言とは別に、人を批判する言葉としても使われているわけである。
この言葉を残した人物
ブッダのほかの名言
「人生」の名言
「死を想え」
セネカの死生観を要約した言葉として知られる、自分が死ぬことを忘れるなというラテン語の句。
「シーシュポスは幸福であると想像しなければならない」
カミュが『シーシュポスの神話』の結びで、不条理を見すえて生きる人間を描いた一文。
「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」
シェイクスピアの戯曲『ハムレット』第三幕第一場で、王子ハムレットが語る独白の第一行。
「吟味されない生に、生きる価値はない」
プラトン『ソクラテスの弁明』が伝える、法廷のソクラテスが自らの生き方を語った言葉。
「万物は流転する」
ヘラクレイトスの思想を後世が要約した句として知られる、世界はたえず変化するという言葉。
「運命を愛せ」
ニーチェが『悦ばしき知識』で、必然的なものを美しいと見て愛そうと書いた言葉。