
フリードリヒ・シェリング
Friedrich Schelling
1775年 — 1854年
自然哲学と同一哲学を展開したドイツ観念論の革新者
この人物について
フィヒテとヘーゲルの間に立ち、自然と精神の根源的同一性を探究し続けたドイツ観念論の独創的思想家。
【代表的な思想】
■ 自然哲学
カント・フィヒテが自然を認識主体の対立物として扱ったのに対し、自然そのものに精神と同じ創造的力が宿ると論じた。自然は「目に見える精神」であり、精神は「目に見えない自然」であるとした。
■ 同一哲学
主観と客観、精神と自然は究極的には同一の「絶対者」の二つの現れ方にすぎないとする立場。この絶対的同一性から出発して世界全体を説明しようとした。
■ 積極哲学と後期思想
晩年はヘーゲルの理性中心の体系を「消極哲学」と批判し、理性では捉えきれない存在の事実性・神話・啓示に注目する「積極哲学」を構想した。
【特徴的な点】
23歳でイェーナ大学教授となった早熟の天才。生涯を通じて思想が大きく変遷し続けた。ヘーゲルとの友情と決裂も有名。
【現代との接点】
環境哲学における自然の内在的価値、ポストモダン思想における理性批判の先駆者として再評価されている。
さらに深く
【思想の形成】
フリードリヒ・シェリングは1775年、ヴュルテンベルクの牧師の家に生まれた。十五歳で規則を曲げてテュービンゲン神学校に入寮を許され、ヘーゲル、ヘルダーリンという二人の同室者と古代ギリシア・ルソー・カントを徹底的に論じ合う青春を過ごした。三人はフランス革命の報を受けて「自由の木」を植えたとも伝えられる。二十一歳で自我哲学の書『哲学の原理としての自我について』を発表し、二十三歳の若さでイェーナ大学に招聘された。同地ではゲーテ、フィヒテ、ロマン派のシュレーゲル兄弟、詩人のノヴァーリスと交わり、カロリーネ・シュレーゲルとの恋愛と結婚は文学史を賑わせた。後年はバイエルン・エアランゲン・ミュンヘン・ベルリンと拠点を移し、長命の哲学者として思想を絶えず更新した。
【思想的意義】
シェリングの最大の独創は、自然そのものに精神と同じ創造力が内在するとする自然哲学と、それを支える同一哲学にある。カントの物自体、フィヒテの非我を乗り越え、自然は「目に見える精神」、精神は「目に見えない自然」として同一の絶対者の二つの現れ方だとした。『超越論的観念論の体系』では芸術を哲学の最高の器官と位置づけ、美の直観に主観と客観の一致を見る。『人間的自由の本質』では、神の内なる暗い根底(暗黒原理)から悪が分離して現れるという神話的議論を展開し、自由を善悪両方への決断の能力として描いた。晩年の積極哲学はヘーゲルの理性中心体系を「消極哲学」と批判し、存在の事実性、神話、啓示という理性以前の次元を哲学の正面に据えようとした。
【影響と継承】
ヘーゲルとの友情と決裂は哲学史上の象徴的事件であり、二人の対立はドイツ観念論の内部緊張そのものを映し出している。シェリングの暗黒根底論はハイデガーの『シェリング講義』、ティリッヒの神学、ベルジャーエフのロシア宗教哲学、ユング心理学の影の概念に波及した。キルケゴールはベルリン講義を聴いて実存哲学の問題意識を受け取り、マルクスもその思考を批判的参照点とした。現代では環境哲学・エコロジー思想・生態学的な心の哲学が、自然を物象化しない同一哲学の遺産を再評価している。日本では岩崎武雄、西谷啓治、渡辺二郎らによって継承され、近年は後期シェリングのリバイバルが国際的に進んでいる。
【さらに学ぶために】
フィヒテ『全知識学の基礎』→シェリング→ヘーゲル『精神現象学』というドイツ観念論の系譜で読むと理解が進む。邦訳では『人間的自由の本質』、『超越論的観念論の体系』が基本。松山壽一《まつやまじゅいち》『シェリング自然哲学とは何か』は包括的解説として役立つ。ハイデガー『シェリング講義』は後期哲学への最良の案内書である。




