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現代西洋

ウラジーミル・レーニン

Vladimir Lenin

1870年1924年

ロシア革命を指導した共産主義の実践者

共産主義革命帝国主義論
レーニン

この人物について

理論と実践を統合し、世界初の社会主義国家を建設したロシアの革命家。20世紀の世界地図を書き換えた人物の一人である。

【代表的な著書・業績】

何をなすべきかでは職業革命家による前衛党の必要性を論じ、帝国主義論では資本主義の最高段階として帝国主義を分析した。国家と革命はプロレタリア独裁と国家の死滅を論じた重要著作である。1917年の十月革命を指導してロシア帝政を打倒、人民委員会議議長として初期ソビエト政権を率い、ソビエト社会主義共和国連邦の建国にまで至った。

【思想・考え方】

マルクス主義を発展させ、前衛党による革命指導という「レーニン主義」を確立した。帝国主義を資本主義の必然的帰結と捉え、マルクスが想定した先進国ではなく後進国ロシアでも革命が可能だと論じた。民主集中制による党組織論は、その後の共産党運動の組織モデルとなった。革命直後の混乱期には新経済政策(ネップ)を導入する柔軟さも見せた。

【特徴的な点】

純粋な哲学者というより理論と実践を結びつける実践的革命家であり、亡命生活の中で膨大な著作と論争を積み重ねた。54歳で脳卒中により死去するまでの生涯は革命運動そのものと重なっていた。

【現代との接点】

社会主義・共産主義の功罪を考える上で避けて通れない存在であり、権威主義と革命の関係を問い続けるきっかけとなる人物である。

さらに深く

【生涯と行動】

ウラジーミル・レーニン(1870〜1924)は、ヴォルガ河畔シンビルスクの教育視学官の家に生まれた。本名ウリヤノフ。17歳のとき兄アレクサンドルがツァーリ・アレクサンドル三世暗殺未遂事件で処刑され、この衝撃が政治的覚醒の原点となった。カザン大学を政治活動で退学させられたが独学で法律資格を取得、90年代からマルクス主義グループに身を投じた。シベリア流刑とスイス、ロンドン、パリでの長い亡命期にロシアにおける資本主義の発達『何をなすべきか』『国家と革命』を執筆した。1917年二月革命後、ドイツ参謀本部の用意した封印列車でペトログラードに帰還し、「四月テーゼ」で臨時政府打倒を掲げ、十月革命を主導した。内戦と飢餓、1921年のネップ導入を経て、1922年の脳卒中の後遺症と闘いながら1924年に死去した。

【政治思想の核心】

マルクス主義の理論的改作には三つの柱がある。第一に『帝国主義論』で、独占段階の資本主義は植民地再分割戦争を不可避にするという戦争原因論を提示した。第二に『何をなすべきか』で、職業革命家からなる中央集権的前衛党を規定した。労働者階級は自然発生的には経済闘争しか展開できないため、外部から政治意識を注入する組織が必要だという命題である。第三に『国家と革命』で、既存の官僚・軍事機構は破壊され、パリ・コミューン型のソヴィエトに置き換えられるべきだとした。民主集中制は討議の自由と決定の一致を両立させる理想であったが、現実には党内民主主義の圧殺に転化していった。

【影響と評価】

二十世紀前半の植民地解放運動は、帝国主義論を武器として反帝闘争を正当化した。毛沢東、ホー・チ・ミン、カストロ、グラムシのヘゲモニー論に至るまで、前衛党理論は多様な変奏を生んだ。しかし非常措置としての赤色テロル、革命裁判所、チェーカーの創設は、スターリンによる恒常化と大粛清の制度的基盤を用意した。理想主義と組織的暴力がいかに同一人物の中で共存しうるかを問う最大の事例である。

【さらに学ぶために】

和田春樹《わだはるき》レーニン:二十世紀共産主義運動の父が批判と共感のバランスのとれた評伝である。国家と革命は短く、理想と現実の落差を直接味わえる原典である。

主な思想

影響を受けた人物

影響を与えた人物

関連する出来事

関連する著作

著作国家と革命

プロレタリア独裁と国家死滅を論じたマルクス主義政治論の古典

著作帝国主義論

レーニンの帝国主義分析

著作何をなすべきか

前衛党の組織原理と職業革命家の必要性を論じた革命論

著作ロシアにおける資本主義の発達

ナロードニキ批判を統計で実証したレーニン初期主著

著作レーニン和田春樹

レーニンの生涯と思想を描く評伝

著作レーニン:二十世紀共産主義運動の父和田春樹

ロシア史の泰斗が描くレーニン評伝

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