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現代東洋

毛沢東

もう たくとう(Mao Zedong)

1893年 — 1976年

中華人民共和国の建国者、農民革命の理論家

共産主義農民革命中国革命
毛沢東

この人物について

20世紀最大の革命を率い、中国の運命を書き換えた指導者。中華人民共和国の建国者であり、同時に膨大な犠牲をも生んだ人物である。

【代表的な著書・業績】

哲学論文『矛盾論』『実践論』はマルクス主義を中国の現実に適用した主要著作であり、軍事論『持久戦論』も独自の戦略思想を示す古典である。1934年からの長征は紅軍の伝説的な戦略的撤退となり、1949年に中華人民共和国を建国した。晩年には大躍進政策と文化大革命を発動し、中国社会に甚大な影響を残した。

【思想・考え方】

マルクス・レーニン主義を中国の農村社会に適合させ、労働者ではなく農民を革命の主体とする独自の革命理論を構築した。「大衆の中から来て、大衆の中へ行く」大衆路線を唱え、党と人民の循環的関係を政治の基本原理とした。社会主義建設後も階級闘争は続くとする継続革命論は、やがて文化大革命の理論的根拠となった。

【特徴的な点】

古典漢詩を踏まえた詩人としても優れた才能を持ち、思想家・軍略家・政治家・文人を一身に兼ねた点で20世紀政治指導者の中でも特異な存在である。大躍進と文化大革命の帰結をめぐる歴史的評価は今も大きく割れている。

【現代との接点】

中国の政治体制と国際関係を理解する上で不可欠であり、革命と権力の関係を問う歴史的事例として参照され続けている。

さらに深く

【生涯と行動】

毛沢東(1893〜1976)は、湖南省湘潭県《しょうたんけん》韶山《しょうざん》の富農の家に三男として生まれたが、兄2人が夭逝したため事実上の長男となった。地主の父との確執が早くから反権威の気質を培ったとされる。湖南第一師範学校で倫理学教師の楊昌済《ようしょうさい》に師事しつつ、陳独秀《ちんどくしゅう》や李大釗《りたいしょう》の新文化運動に触れた。北京大学図書館の司書補として働きながらマルクス主義に接近し、1921年の中国共産党第一回大会に出席した。国共合作の破綻後、都市蜂起路線の失敗を経て井岡山《せいこうざん》の根拠地に籠り、農村から都市を包囲するゲリラ戦略を確立した。1934年からの大長征で党内主導権を握り、延安整風運動を経て指導部を掌握、1949年10月に中華人民共和国を建国した。晩年の大躍進と文化大革命は国家を大規模な動員と混乱に陥れ、1976年に北京で没した。

【政治思想の核心】

思想の軸は「矛盾」の絶えざる動員にある。『矛盾論』『実践論』では、主要矛盾と副次的矛盾の転換、敵味方関係の再編を通じて、状況に応じた戦略の組み替えを理論化した。都市プロレタリアートではなく農民を革命主体と位置づけた点は、マルクス・レーニン主義の中国化として第三世界の革命戦略に決定的影響を与えた。官僚制の硬直化を繰り返し内側から揺さぶる「継続革命論」は、権力奪取後の革命の自己腐敗という困難に対する独自の応答であったが、結果として文化大革命の悲劇を招いた。

【影響と評価】

カンボジア、ペルー、ネパールなど第三世界の農村ゲリラ戦略、1960年代西側の新左翼運動にも波及した。大躍進の飢饉と文化大革命の政治的暴力による犠牲者は合わせて数千万人規模と推定され、二十世紀最大の人道的災厄の一つに数えられる。理想と権力の関係、革命の制度化の困難を考える際の最大の事例研究である。

【さらに学ぶために】

本人の考え方は、1937年に書かれた短い論文『実践論』『矛盾論』で直接たどれる。毛沢東の生涯は、理想と権力がいかに結びつき、いかに変質しうるかを考えるための重要な事例である。

主な思想

批判・対立した思想

対立する哲学者

影響を受けた人物

関連する出来事

関連する著作

著作矛盾論

毛沢東の弁証法的唯物論

著作実践論

毛沢東の認識論

著作持久戦論

日中戦争の戦略を三段階で構想した毛沢東の軍事論

著作毛沢東と周恩来矢吹晋

毛沢東を厳格な父、周恩来を寛容な母に見立て、二人の素顔と中国の社会主義を検証する新書

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