性悪説
人間の本性は欲望や利己心に傾き、礼や制度による矯正が必要とする思想
この思想とは
人間は生まれながらに欲望・利己心を持つとする思想。
【生まれた背景】
戦国時代の中国で荀子が孟子の性善説に反論する形で体系化した。西洋ではホッブズが自然状態の人間の闘争性を論じ、強力な国家の必要性を説いた。キリスト教の原罪思想も人間が本性的に罪深いという前提に立つ。
【主張の内容】
荀子は人間の本性は欲望・争いへ傾くものであり、礼義(外的規範)と師の教えによって矯正してこそ善が生まれると論じた。ホッブズは自然状態を「万人の万人に対する闘争」と描き、人々が自己保存のために権力を主権者に委ねる社会契約によって秩序が生まれると説いた。どちらも「人間の善は後天的な制度・教育による産物だ」という点で一致する。
【日常での例】
「規則やルールがなければ人は好き勝手する」という直感や、厳格な法律・罰則の必要性を強く感じるとき、私たちは性悪説的な見方をしている。
【批判と限界】
人間の本性を悲観的に見すぎるとの批判がある。また「悪」の定義自体が文化・時代によって異なるという問題も指摘される。現代心理学は利他性も生得的に存在することを示しており、善悪の二分法の単純さへの疑問は今日も続く。
さらに深く
【思想の深層】
荀子の性悪説は孟子の性善説への正面からの反論として提示された。荀子は「人の本性は悪である、善は人為によるものである(人之性悪、其善者偽也)」と断言した。「偽(ぎ)」は偽りではなく「人為・作為」を意味する。つまり善は生まれつきのものではなく、礼と教育という人工的な営みによって後天的に形成されるものだという主張だ。欲望(好利・疾悪・耳目の欲)は放置すれば争いと混乱をもたらす。だからこそ礼義が必要であり、師と法(明確な規則)による矯正が人間を社会的存在にする。荀子の弟子からは法家思想(韓非子・李斯)が生まれ、賞罰による統制を国家の基本とした。西洋では、ホッブズは自然状態を「万人の万人に対する闘争(bellum omnium contra omnes)」と描写し、生は「孤独で、貧しく、汚く、野蛮で、短い」とした。この解決策は、人々が自己保存のために権力を主権者(リヴァイアサン)に委ねる社会契約であった。
【歴史的展開】
荀子の性悪説から韓非子の法家思想が発展し、秦の始皇帝による中国統一の哲学的根拠となった。西洋ではキリスト教の原罪論(アウグスティヌス:アダムの堕落以来、人間は自力では善を行えない)が中世を通じて人間観の基盤をなした。ホッブズに続き、ロックは「白紙説」でより楽観的な立場を取り、マンデヴィル(『蜂の寓話』1714年)は「個々人の悪徳(利己心)が社会全体の繁栄をもたらす」という逆説を提示してスミスの「見えざる手」の先駆となった。フロイトは「エス(本能的欲動)」と「超自我(社会的規範の内面化)」の葛藤として人間心理を描き、性悪説的な人間観を心理学的に精緻化した。20世紀の二度の世界大戦・ホロコーストは性悪説的な人間観への実証として語られることもある。
【現代社会との接点】
刑事司法における抑止力理論(重い刑罰が犯罪を抑止する)は性悪説的な人間観に基づく。行動経済学(カーネマン・タレボ)は人間の認知バイアス・近視眼的な自己利益追求・意志の弱さを実験的に示し、人間の「合理的」行動への楽観を崩した。これは穏やかな性悪説的知見ともいえる。セキュリティ設計(情報セキュリティ・建築デザイン・制度設計)では「悪意ある行為者を前提とした設計」が基本とされる。「ナッジ(nudge)」理論は性悪説的な知見を逆用し、人間の非合理的傾向をあらかじめ制度設計に組み込むことで望ましい行動を促す(臓器提供の「オプトアウト」制度など)。
【さらに学ぶために】
荀子は岩波文庫の『荀子』(金谷治訳)で読める。ホッブズ『リヴァイアサン』(水田洋訳、岩波文庫)は政治哲学の古典であり、国家論・主権論の原点。フロイト『文明の不満』(日高六郎訳、岩波文庫)は文明と本能の抑圧の関係を論じた、性悪説の心理学的展開として読める名著。
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