
孟子
もうし(Mencius)
紀元前372年 — 紀元前289年
性善説を唱えた儒教の亜聖
この人物について
孔子に次ぐ儒教の「亜聖」として、人間の善なる本性への信頼を哲学的に基礎づけた中国戦国時代の思想家。
【代表的な思想】
■ 性善説と四端
人間の本性は善であり、惻隠《そくいん》(あわれみ)・羞悪《しゅうお》(恥じる心)・辞譲《じじょう》(譲る心)・是非(善悪を判断する心)の四つの芽生え(四端《したん》)がすべての人に備わっているとした。これらを養い育てることが仁義礼智という徳の完成につながる。
■ 王道政治と民本主義
「民を貴しとし、社稷《しゃしょく》これに次ぎ、君を軽しとす」と述べ、人民こそが国家の根本であるとした。仁義に基づく王道政治を理想とし、暴君に対する放伐《ほうばつ》(革命)の正当性をも認めた。
■ 浩然の気《こうぜんのき》
道義に適った行いを積み重ねることで養われる、天地に満ちる大いなる精神的エネルギー。正義を貫く勇気の源泉とされる。
【特徴的な点】
荀子が人間の本性を悪と見て制度による矯正を説いたのに対し、孟子は内なる善を信頼し、その発露を妨げないことを重視した。義を利益より優先する「義利の弁」も特徴的。
【現代との接点】
人権思想や民主主義の東アジア的源流として再評価されている。教育における「引き出す」アプローチや、リーダーシップにおける徳の重要性は現代にも通じるテーマである。
さらに深く
【思想の形成】
孟子は紀元前372年頃、鄒《すう》の国(現在の山東省)に生まれた。幼くして父を亡くし、教育熱心な母の手で育てられた。「孟母三遷《もうぼさんせん》」「孟母断機《もうぼだんき》」の故事はこの母の逸話として後世まで語り継がれる。孔子の孫・子思《しし》の門人に学んだとされ、孔子の道の正統な継承者を自認した。戦国時代の諸侯に仕官しようと各地を遊説し、梁の恵王《けいおう》には「王は何ぞ必ずしも利を曰わん、亦仁義有るのみ」と仁義の政治を説き、斉の宣王にも王道政治を進言した。しかし富国強兵が至上命題だった時代状況では十分には受け入れられず、晩年は故郷に戻って弟子の教育と書物の編纂に専念した。
【思想的意義】
性善説の根拠として孟子が挙げるのが「四端」の議論である。井戸に落ちそうな幼児を見れば、誰でもとっさに助けようとする。この反応は利害計算ではなく、人間に本来備わった惻隠の情の発露である。同様に、羞悪・辞譲・是非の心がすべての人に四つの萌芽として存在し、これを育てれば仁・義・礼・智の四徳に成長する。政治思想では、民が最も貴く社稷がこれに次ぎ君主は最も軽いとする民本主義を唱え、民意を失った暴君は天命を失って放伐されうるという革命の論理を示した。また、天地に充満する「浩然の気」を養う修養論や、徳に基づく王道政治と力による覇道政治の対比など、儒教の内面的次元と政治的次元を結びつける枠組みを築いた。
【影響と継承】
孟子は荀子の性悪説と対照されながら、儒教の正統的な人間観の基礎をなしてきた。南宋の朱熹が『論語』『大学』『中庸』とともに『孟子』を四書に組み込んで以降、東アジア全域の科挙と教育の基本テキストとなり、日本の伊藤仁斎《いとうじんさい》や中国の王陽明らにも深く読み込まれた。近代以降も民本主義と革命権の思想は中国の辛亥革命や日本の自由民権運動に援用され、孫文は三民主義の根拠に孟子を引いた。現代の徳倫理学や共同体主義とも親和性が高く、惻隠の情を基盤とする共感倫理の古典として世界的に再評価が進んでいる。
【さらに学ぶために】
『孟子』は小林勝人《こばやしかつんど》訳注(岩波文庫、全二冊)が標準的な日本語訳である。金谷治『孟子』は人物像と思想を簡潔にまとめた定評ある入門書。荀子『性悪篇』と読み比べると、儒教思想の内部の幅の広さが鮮やかに見えてくる。







