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古代東洋

墨子

ぼくし(Mozi)

紀元前470年紀元前391年

兼愛と非攻を説いた墨家の祖

墨家兼愛非攻
墨子

この人物について

すべての人を分け隔てなく愛する「兼愛」を掲げ、侵略戦争に身を挺して反対した古代中国の行動する思想家。

【代表的な思想】

■ 兼愛《けんあい》

儒教が親子・君臣など関係の近さに応じて愛に差をつける「差別愛」を説いたのに対し、墨子はすべての人を等しく愛する「兼愛」を主張した。差別愛こそが戦争と搾取の原因であると批判した。

■ 非攻

侵略戦争に断固反対し、防衛のための技術と戦略を磨いて弱小国の防衛に実際に尽力した。思想を語るだけでなく、命がけで実践した点が際立っている。

■ 功利主義的倫理

行為の善悪は国家と人民にもたらす実利によって判断すべきだとした。節約・節葬を唱え、儒教の華美な礼楽や葬儀を無駄として批判した。

【特徴的な点】

孔子が既存の秩序と階層的な人間関係を前提としたのに対し、墨子は平等と実利を基準に社会を再構成しようとした。厳格な規律を持つ集団を率い、自己犠牲的な実践を重んじた行動主義は、古代思想家の中でも異彩を放つ。

【現代との接点】

無差別の博愛と反戦平和主義は、人道主義やNGO活動の精神と重なる。実用主義的な倫理観は、西洋の功利主義に数千年先んじた先駆的思想として再評価されている。

さらに深く

【思想の形成】

墨子は紀元前470年頃に生まれ、紀元前390年頃に没したとされるが、生涯の詳細には不明な点が多い。魯の国の出身とされ、元は工匠《こうしょう》であったとも言われる。若い頃は儒家の教えに接していたが、繁雑な礼楽と血縁重視の差別的な愛に疑問を抱き、独自の思想を立てた。弟子たちと厳格な規律に基づく集団「墨家」を組織し、粗衣粗食と命がけの連帯を旨とした。弱小国が大国に攻められると聞けば、墨家の一団は実際に現地へ出向き、防衛のための技術的・戦略的支援を行った。楚が宋を攻めようとした際、墨子自身が楚の攻城兵器への防御戦術を公輸般《こうゆはん》との机上演習で実演して攻撃を断念させたという逸話は墨子公輸篇に伝えられる。

【思想的意義】

墨子は世の中の争いの原因を「別相愛《べつそうあい》」、すなわち自分の親族や国だけを愛し他を排斥する差別的な愛に求めた。これに対して「兼相愛《けんそうあい》」、すべての人を等しく愛することを実践すれば、戦争も搾取もなくなると論じた。行為の善悪を「国家百姓の利」という国と民衆の実利で判断する帰結主義的な倫理観を示し、儒教の華美な礼楽や長期の喪を無用な浪費として批判した(「節用《せつよう》」「節葬《せっそう》」「非楽《ひがく》」)。また「天志《てんし》」として天の意志を道徳の根拠に据え、「明鬼《めいき》」で超越的な賞罰者の存在を肯定することで、人々の利己的行動を抑制しようとした。論理的思考の整備にも取り組み、後期墨家の「墨経《ぼっけい》」篇は古代中国における知識論と論理学の最高水準を示している。

【影響と継承】

戦国時代、墨家は儒家と並んで「世の顕学《けんがく》」と称され、最大の思想集団の一つであった。しかし秦の統一と前漢以降の儒教官学化の中で急速に衰退し、その書は長く埋もれた。清代の考証学者たちによる再発見を経て、近代には孫中山や梁啓超《りょうけいちょう》が兼愛を普遍的博愛の古典として再評価した。現代では功利主義・普遍主義的倫理学の東アジア的先駆、あるいは平和主義・国際協調の思想資源として、また初期の防御工学と論理学の記録としても国際的な関心を集めている。儒家との対比を通じて、中国思想の幅の広さを示す古典として読み直されている。

【さらに学ぶために】

墨子は多くの篇からなる大部な書物だが、「兼愛」「非攻」「節用」の各篇が基本思想を知るのに適している。渡辺卓《わたなべたかし》訳注『墨子』が邦訳の定番で、浅野裕一《あさのゆういち》『墨子』は簡潔な入門として役立つ。

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