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専門編 · 古代・中世の深層 · 第55

プラトン:イデア論の射程

40歳のプラトンは、シラクサ僭主せんしゅの宮廷に招かれた末に奴隷市場で売られかける屈辱くつじょくを味わいます。挫折を繰り返しながら、晩年には自らの哲学の根幹さえ疑い始めました。イデア論は完成された教説ではなく、生涯にわたる自己訂正の運動です。本章ではその射程と亀裂を辿ります。

奴隷の少年が幾何を解くとき

プラトンが感覚を超える知をどう正当化したのか。メノンの有名な場面で、ソクラテスは教育を受けたことのない奴隷の少年を呼び寄せ、地面に正方形を描いて問いだけを重ねます。少年は対角線を引けば倍の面積の正方形になることを、教わらずに発見してみせます。学習とは魂がかつて観想したイデアを思い出すこと、すなわち想起そうき(アナムネーシス)にすぎない、というのがプラトンの結論でした。

これは経験論への二千年早い先制攻撃です。生まれた時点の白紙に何が書き込まれるかではなく、すでに書き込まれているものをどう蘇らせるかが学びの本義ほんぎとなります。デカルトの生得観念、カントのアプリオリ、20世紀チョムスキーの普遍文法まで、認識装置に経験以前の構造が組み込まれているという発想は、すべてこの場面の遠い反響です。

シラクサの挫折と『パルメニデス』の自己反駁

プラトンが理想と現実の落差に最も激しく直面したのは、シチリアでの政治顧問の試みでした。40歳の頃、シラクサ僭主ディオニュシオス1世の宮廷に招かれた彼は、王の怒りを買い奴隷市場で売られかけます。20年後にディオニュシオス2世のもとで再挑戦するも失敗し、3度目の渡航とこうでようやく身をまっとうして帰国しました。哲人王の構想は、宮廷で何度も砕け散った経験から書かれています。

こうした挫折と並行して、中期のイデア論を自ら解体する作業が始まります。後期対話篇パルメニデスでは、若きソクラテスが老パルメニデスから「第三人間論法」と呼ばれる難問を浴びせられます。リンゴとリンゴのイデアが同じく赤いと言うとき、両者を似せる第三のイデアが要請され、それがまた第四を呼び、無限後退こうたいに陥る。自分の主著の根幹に自らナイフを入れた哲学者は、後にも先にもほとんどいません。

後期対話篇でのイデア論の建て直し

パルメニデスの難問のあと、プラトンは別の建て付けを試みました。ソフィストでは、長年イデア論を縛ってきた最大の難問に解が与えられます。彼は「非存在」を絶対無ではなく「他者であること」として再定義し、命題が偽でありうる条件を初めて確保しました。「ソクラテスは座っていない」と意味あるかたちで語れる理由に、世界初の答えが与えられたのです。

最晩年のティマイオスでは、宇宙の創造が壮大な神話として語られます。デミウルゴスと呼ばれる職人神しょくにんしんが、混沌こんとんの素材に幾何学的形相を刻みつけて世界を作る。土・水・火・空気は立方体りっぽうたい・正二十面体・正四面体・正八面体という正多面体せいためんたいに対応づけられました。世界は数学的構造を持つ。この発想は、ガリレオの「自然は数学の言葉で書かれている」からニュートン力学、現代の標準模型まで、近代科学の前提を二千年先取りしています。

プロティノスから現代の数学的プラトン主義へ

プラトン哲学はその後の二千年を通じて変奏され続けます。3世紀のプロティノスは、イデア界をさらに高次の「一者」から派生する流出として再構成し、新プラトン主義を体系化しました。アウグスティヌスはそれをキリスト教神学に取り込み、神の心の中にイデアを置き直します。中世の普遍論争も、その骨子はプラトンの言う「リンゴそのもの」が実在するかをめぐる戦いでした。

20世紀になると、論理学者ゲーデルや物理学者ペンローズが「数学的対象は人間の構成物ではなく発見されるものだ」とプラトン的実在論を擁護しました。πや素数の集合は発明されたものか、見出されるべき何かなのか。コンピュータ科学者がこの古い問いをいまも論じ続けているという事実が、プラトンの射程の長さを物語ります。次章では、この形而上学を支える政治論として、国家に踏み込みます。