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メ

『メノン』

古代

想起説と徳の教え方を論じたプラトンの初期末の対話篇

哲学

この著作について

アテネを訪れたテッサリアの貴族メノンに「徳は教えられるのか」と問われたところから始まる、プラトンの初期から中期への移り目にあたる対話篇。短いながら、想起説(アナムネーシス)が初めて舞台に登場する哲学史的に重要な一篇である。

【内容】

対話は三つの段階で進む。前半でソクラテスは「徳とは何か」の定義をメノンに求め、いくつかの答えを反例で崩していく。中盤に有名な場面が現れる。教育を受けたことのない奴隷の少年を呼び寄せ、地面に正方形を描いて問いだけを重ねると、少年は対角線を引けば倍の面積の正方形になることを自力で発見する。プラトンはここから、学習とは魂が生まれる前に知っていたことを思い出すことだと論じる。後半では、徳が知識ならば教えられるはずだ、しかし教師は見当たらない、ならば徳は神からの贈り物に近い「正しい意見」かもしれない、という保留で対話は閉じる。

【影響と意義】

アプリオリな知識という発想の原型がここにある。デカルトの生得観念、カントの純粋直観、20世紀チョムスキーの普遍文法に至るまで、認識の枠組みが経験以前に組み込まれているとする思想は、すべてこの少年の場面の遠い反響として読める。後の『パイドン』『パイドロス』で繰り返される魂の不死論も、ここで芽吹いた。

【なぜ今読むか】

「分かっているはずなのに言葉にできない」という日常的な経験を、哲学的にどう扱うかの古典的な答えが提示されている。学ぶとは何かを根本から考え直したい読者に向く。

どの訳で読むか

1994年の岩波文庫の藤沢訳は、本文のあとに補注、解説、訳者注を備える。2012年の光文社古典新訳文庫の渡辺訳はより新しく、版元は「プラトン対話篇 最高の入門書」とうたう。どちらも電子書籍で読める。

  • 藤沢令夫訳岩波書店・岩波文庫、1994年

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    文庫・166頁。巻頭に凡例、本文のあとに補注、解説、訳者注がつく。版元の紹介文は、「哲人政治家の教育」という主著『国家』の中心テーゼにつながる重要な短篇と位置づけている。電子書籍もある。

  • 渡辺邦夫訳光文社・光文社古典新訳文庫、2012年

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    書名には副題「徳(アレテー)について」がつく。版元は「プラトン対話篇 最高の入門書」とうたい、従来あまり重視されなかったことばのニュアンスを細かく読みとり、プラトンの対話篇を文芸作品としても読み解いた意欲的な新訳と紹介している。電子書籍もある。

さらに深く

【内容のあらまし】

登場人物はソクラテス、メノン、メノンの召使いの少年、アニュトスの4人で、対話は前置きなしにメノンの問いから始まる。徳は教えて身につくのか、練習によるのか、生まれつきなのか。ソクラテスは、知恵の乏しいこの土地に住む自分も同じく貧しく、徳が何かさえまったく知らないと応じる。

男と女、若者と老人、自由人と奴隷とで徳は違うと並べてみせるメノンに、ソクラテスは、一つを尋ねたのに徳の群れを差し出されたと言い、蜂とはそもそも何かと問い返す。崩されて行き詰まったメノンは、ソクラテスは触れた者をしびれさせるシビレエイにそっくりだと言い、知らないものをどうやって探すのか、見つけてもそれだとどう分かるのかと切り返す。後にメノンのパラドクスと呼ばれる難問である。ソクラテスは、神官や、ピンダロスら霊感を受けた詩人から聞いた話として、人の魂は不死で、学ぶとは思い出すことだと語り出す。

実演に呼ばれた少年は、面積が倍の正方形の一辺を問われ、倍の長さと答えるが、面積は4倍の16になる。長さ3でも合わず、ついに分からないと言う。ソクラテスは、無知を知った今のほうがましだとメノンに認めさせる。続けて図に対角線を引いて問うと、少年は倍の面積の正方形が対角線から作れると、自分で答える。ソクラテスはこれを想起と呼び、魂は不死だと結ぶが、すべてに自信はないと断り、探究すべきだという点は譲らない。

ソクラテスは、徳が知識なら教えられるという仮設に立って進める。魂にかかわるものは知恵が加われば益、愚かさが加われば害になるから、徳は一種の知恵だとひとまず結論するが、ソクラテス自身がそれを疑う。教えられるなら教師がいるはずなのに、見つけたことがないからだ。そこへ加わったアニュトスは、ソフィストを退け、立派なアテナイ人に付けばよいと言う。ソクラテスは、テミストクレスが息子を名高い騎手に育てながら徳は伝えられなかった例を挙げ、徳は教えられないのではないかと迫る。アニュトスは、人を悪く言いすぎる、気をつけたほうがいいと警告する。彼は後にソクラテスを告発する3人の一人になる。

終盤、ソクラテスは、道を知らなくても、道について正しく思っている人なら良い案内人になれると言う。正しい思いなしは、ダイダロスの彫像のように、つなぎとめておかないと逃げ出す。原因の結びつきでつなぎとめたとき、思いなしは知識になる。教師のいない徳は知識でなく、政治家は正しい思いなしで国を導いたとされ、徳は神からの授かりものと結ばれる。対話は、徳とは何かを先に問わなければ確かなことは分からないという念押しと、アニュトスを説き伏せてほしいという頼みで終わる。

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