専門編 · 哲学の主要分野 · 第82章
科学哲学:科学は何を保証するのか
1919年5月29日、西アフリカ沖プリンシペ島で皆既日食が観測されました。エディントン率いる遠征隊は、太陽の重力で星の光がどれほど曲がるかを測定し、アインシュタインの一般相対性理論を確証します。当時17歳のウィーン青年カール・ポパーは、この出来事に痺れました。「アインシュタインは自分が間違っていることを示しうる予測をした。マルクスやフロイトは違う」。本章は科学哲学のこの出発点から始まります。
ポパーの反証可能性 — 線引き問題への解答
1934年の『科学的発見の論理』でポパーは、科学と疑似科学を分ける「線引き問題」に解答を提示します。科学的命題は反証可能でなければなりません。すなわち、ある観察によって偽となりうる条件を、自ら明示的に含んでいなければならない、と。「明日太陽が東から昇る」は反証可能です。「神はすべての出来事を導いている」は反証可能ではありません。
ポパーが標的にしたのは、当時ウィーンの知識人を支配していた精神分析と歴史的唯物論でした。フロイトはどんな患者の振る舞いも理論で説明でき、マルクスはどんな歴史的事実も体系の中に位置づける。説明力の高さに見えるこの能力こそ、彼にとって疑似科学の指標でした。本物の科学は反例に対して脆弱でなければなりません。検証可能性ではなく反証可能性が、科学の徴です。
クーンとパラダイム転換
1962年、ハーバードの物理学者出身の哲学者トマス・クーンは『科学革命の構造』を出版します。彼が描いたのは、ポパーの線引き論とは全く異なる科学の姿でした。科学者は通常、共有された「パラダイム」のなかで「通常科学」のパズル解きを行う。理論を反証しようとはせず、むしろ理論を維持するために観察を再解釈する。
だが時に、解けない異常事例の蓄積が危機を引き起こし、科学全体が新しいパラダイムに「ゲシュタルト転換」する。プトレマイオス天文学からコペルニクスへ、ニュートン物理学からアインシュタインへ。クーンが用いた「パラダイム」「通常科学」「異常」「危機」「科学革命」「共約不可能性」といった語彙は、科学社会学だけでなく、文学・芸術・経営学にまで広がる影響を残しました。
ラカトシュとファイヤアーベント — 「何でもあり」の挑戦
1970年代、ハンガリー出身のイムレ・ラカトシュは、ポパーとクーンの中間道として「研究プログラム」概念を提案します。科学はパラダイムでも単純な反証でもなく、「堅い核」と「保護帯」からなる研究プログラムとして展開する。プログラムは新しい予測を生み出し続ける限り「進歩的」と評価され、説明の弥縫策ばかりになると「退行的」と判定される。
さらに過激なのが、ラカトシュの友人で論争相手のパウル・ファイヤアーベントでした。1975年の『方法への挑戦』で彼は「何でもあり(anything goes)」と宣言します。科学史の実例を子細に追えば、ガリレオもニュートンも、その時点で「合理的でない」方法をしばしば用いていた。固定した科学的方法など存在しない、というラディカルな主張は、科学哲学の最も挑発的な立場として残り続けています。
科学的実在論 vs 反実在論 — 現代の論争
21世紀の科学哲学の中心争点の一つが、科学的実在論をめぐる論争です。実在論者は、成功する科学理論は世界の構造を捉えており、電子もクォークもブラックホールも実在する、と主張します。バス・ファン・フラーセンら反実在論者は逆に、科学の目的は観察可能なものを救う「経験的妥当性」にあり、観察不可能な理論的存在物の実在を仮定する必要はないと反論する。
歴史的「悲観的帰納」も実在論への強い反論です。過去の科学が成功と見なした理論(フロギストン、エーテル、熱素)は、すべて後の科学で「実在しない」とされた。現在成功している理論も同じ運命を辿るかもしれません。「構造実在論」のような中間的立場が、論争のなかで彫琢されています。次章では、自然科学とは異なる対象、美と芸術を扱う美学に進みます。
哲学の主要分野 · 第82章