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専門編 · 哲学の主要分野 · 第81

言語哲学:意味はどこに宿るか

「現在のフランス王はハゲである」という命題は真ですか、偽ですか。フランスはとっくに共和制で、現在のフランス王は存在しません。1905年、バートランド・ラッセルがこの何気ない一文をめぐって書いた論文「指示について」が、20世紀言語哲学の出発点となります。本章では、言葉の意味はどこに宿るのかという古い問いの、現代的な展開を辿ります。

フレーゲの「明けの明星と宵の明星」

1892年、ドイツの数学者ゴットロープ・フレーゲは論文「意義と意味について」を発表します。「明けの明星」と「宵の明星」は、いずれも金星を指しています。指示対象は同じです。それでも「明けの明星は宵の明星と同一である」という命題は、天文学的発見として情報的価値を持つ。なぜでしょうか。

フレーゲの解答は、表現に二つの層を区別することでした。「意味(Bedeutung)」は指示対象、「意義(Sinn)」は対象の与えられ方です。同じ対象でも、異なる経路で示されれば、異なる意義を持ちえます。この区別は記号論理学を可能にし、フレーゲは現代の述語論理を創始することになります。19世紀末の数学基礎論の難問の中から、言語と論理の哲学が一つの学問として立ち上がった瞬間でした。

ラッセルの記述理論 — 表面文法を裏切る論理形式

1905年のラッセルは、フレーゲの枠組みでも処理できない難問に挑みます。「現在のフランス王はハゲである」という命題は、文法的にはまっとうな主述構造です。しかし主語が指示するものが存在しません。意義はあるが意味がない、というケースを古典論理学はうまく扱えません。

ラッセルの記述理論は、この命題を「あるxが存在し、xはフランスの王であり、フランスの王であるすべてのものはxと同一であり、xはハゲである」という論理形式に書き直します。確定記述は固有名のように見えて、実は存在量化を含む複合命題に還元される。フランス王が存在しなければ、最初の存在条件が偽となり、命題全体も偽となります。表面文法と論理形式の乖離かいりを示すこの分析は、20世紀分析哲学の出発点となりました。

クリプキの『名指しと必然性』 — 固有名は記述ではない

1972年、ハーバードのソール・クリプキは名指しと必然性として出版される三回連続講義で、フレーゲ=ラッセル路線に根本的な疑問を提示しました。記述理論は「アリストテレス」のような固有名も「プラトンの最も有名な弟子」のような記述に還元しようとする。だが、もしアリストテレスがプラトンの弟子にならなかったとしても、彼は依然としてアリストテレスだったはずです。

クリプキは「固定指示子こていしじし」概念を導入します。固有名はあらゆる可能世界で同じ対象を指す。「水はH2Oである」のような自然種に関する同一性命題も、後天的こうてんてきに発見されたが必然的に真である、と彼は論じました。この主張は意味論を一新し、言語哲学を本質主義の復権へと導きます。20世紀末の哲学の最重要転換の一つです。

言語行為論からチョムスキーまで

オックスフォードのジョン・オースティンは別の方向から言語を考えました。1955年のハーバード講演で彼が示したのは、発話には事実を述べるだけでない側面があるということです。「私はこの船をクイーン・エリザベス号と命名する」と言うとき、私はその発話によって命名という行為を遂行すいこうしている。約束、命令、宣言、謝罪しゃざい。言葉は世界を記述するだけでなく、世界に介入する。

言語と思考の関係も論争の中心です。サピア=ウォーフ仮説は、話す言語が思考そのものを形作ると主張し、近年の認知言語学の実証研究は弱い形での影響を支持しています。逆にチョムスキーの普遍文法は、言語以前の認知構造を強調する。意味は世界にあるのか、心にあるのか、共同体にあるのか。次章では、言葉が表すべき「世界」をめぐる別の問い、科学哲学に進みます。