『科学的発見の論理』
かがくてきはっけんのろんり
現代
帰納主義を批判し「反証可能性」による科学の線引き基準を提唱したポパーの科学哲学主著
この著作について
ウィーンから亡命したカール・ポパーが青年期に刊行し、のちに自ら英訳・大幅加筆して世に問い直した、二十世紀科学哲学の記念碑的主著。
【内容】
本書はまずヒュームが示した帰納の問題から出発する。どれほど多くの白い白鳥を観察しても「すべての白鳥は白い」は証明できない。ポパーはここから、検証ではなく反証可能性こそが科学と非科学を分ける基準だと提起する。科学者が行うべきは真理の確認ではなく、自らの大胆な仮説をあえて厳しい反証のテストにかけることであり、生き残った理論は「より真理に近い」と暫定的に見なされるにすぎない。続く章では、確率と客観性、補助仮説による救出の危険、単純さと普遍性、実験と観察の関係といった具体的論点が詳細に扱われる。科学の合理性は帰納ではなく「推測と反駁」の繰り返しに宿るとされる。
【影響と意義】
本書はクーン、ラカトシュ、ファイヤーアーベントらの議論の出発点となり、現代科学哲学の基本語彙を決定した。心理療法・経済学・社会科学の領域でも、反証可能性を備えるかどうかが理論の自己吟味の鍵となっている。公共政策の議論や疑似科学批判でも、繰り返し参照される概念である。
【なぜ今読むか】
フェイクニュース、陰謀論、耳ざわりの良い「科学風」主張に囲まれる現代に、「その主張は何によって間違いだと分かるのか」という反証可能性の問いは、情報を自分の頭で吟味するための最強の道具の一つである。
さらに深く
【内容のあらまし】
本論は二部十章からなる。科学の論理への序論にあたる第一部は、帰納の原理の吟味から始まる。帰納論理の支持者は、この原理こそ科学の方法の要だと見る。だが、それが純粋に論理的な真理なら、帰納の問題はそもそも生じない。よって帰納の原理は、否定しても矛盾しない総合的な言明でなければならず、ならばなぜそれを受け入れ、どう合理的に正当化するのかという問いが残る。次にポパーは、確信の由来のような問いを心理学に委ね、普遍性の高い法則へ至る論理の道はなく、経験の対象への知的な愛に支えられた直観によってのみ届くというアインシュタインの言葉を引く。普遍言明は単称言明から導けないが単称言明によって否定されうるという非対称は、経験科学を数学や論理学、形而上学から分ける線引きの土台に据えられる。第2章は方法の規則を約束事として定め、ある言明を最終的に検証済みとみなす者は科学のゲームから降りるのだと言う。
第二部は、経験の理論を組み立てる構成要素を章ごとに取り上げる。たとえばエネルギー保存の法則は、永久機関は存在しないという禁止の形で言い表せる。ある時空領域に永久機関があるという基礎言明が真なら、この法則は反証される。第4章は、再現できない単発の出来事は科学にとって意味をもたないとし、理論が反証されたとみなすのは、それを覆す再現可能な効果が見つかったときだと定める。
第5章が経験的基礎の問題である。理論のテストは、受け入れると決めた基礎言明のどこかで止まる。その言明は、経験に動機づけられても、テーブルを叩いて正当化できないのと同じく経験によって正当化はされない。受け入れは陪審の評決になぞらえられる。評決は規則に従った合意だが、誤審があるように覆りうる。科学は岩盤の上に立つのではなく沼地に杭を打った建物のようなものだという比喩が出る。杭打ちをやめるのは固い地盤に届いたからではなく、さしあたり構造を支えるに足ると満足したからにすぎない。
第6章のテスト可能性の度合い、第7章の単純性、第8章の確率、第9章の量子論の考察を経て、第10章は理論がテストにどう耐えるかを論じる。その第85節「科学の道」でポパーは、我々は知らない、ただ推測できるだけだと述べ、大胆な着想と思弁こそ自然を解釈する唯一の道具であり、自分の考えを反駁の危険にさらそうとしない者は科学のゲームに加わっていないと書く。版を重ねながら、著者は1994年に亡くなる直前まで付録を書き足した。ドイツ語の第2版以降には、理論は観察の結果から作り上げるものではなく発明するほかないと書いた、1935年9月のアインシュタインからの手紙も収められている。
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