アリストテレスの再発見
ありすとてれすの さいはっけん
中世
イスラム経由で再発見されたアリストテレスが中世哲学を変えた
この出来事について
12〜13世紀、イスラム世界経由でアリストテレスの全著作が西欧に再導入され、中世哲学の決定的な転換点となった。
【何が起きたか】
長くプラトン系思想に寄りかかっていた西欧に、イブン・シーナー(アヴィセンナ)やイブン・ルシュド(アヴェロエス)によるアリストテレス注解が翻訳されて流入した。パリ大学をはじめとする新設の大学で、アリストテレスは教育の中心テクストとなり、神学と衝突しつつも徐々に位置を得ていった。
【思想への影響】
トマス・アクィナスは『神学大全』で信仰と理性、啓示とアリストテレス哲学を総合するスコラ哲学の大体系を築いた。普遍論争、自然法、倫理学、自然哲学など、中世から近世初期にかけての哲学的議論の舞台が整った。アリストテレスの論理学・形而上学・自然学は、後に近代科学革命を迎え撃つ「克服すべき対象」としても機能した。
【現代とのつながり】
徳倫理学の復興(マッキンタイア、アンスコム)や、現代の政治哲学における共同体主義は、アリストテレス再受容の現代的反復と言える。大学という制度の原型もこの時代に成立した。
さらに深く
【背景の深層】
アリストテレスの再発見は、12世紀ルネサンスと呼ばれる知的復興の中核にあった。イスラム世界ではアッバース朝期(8-10世紀)にバイト・アル・ヒクマ(知恵の家)でギリシア哲学のアラビア語翻訳が進み、アル・キンディーから始まりアル・ファーラービー、アヴィセンナ(イブン・シーナー)、アヴェロエス(イブン・ルシュド)がアリストテレス注解の伝統を築いていた。ユダヤ世界ではマイモニデスが『迷える者への導き』でアリストテレスとトーラーの統合を試みた。イベリア半島のレコンキスタに伴うトレド翻訳学派と南イタリアのノルマン征服を通じて、これらアラビア語文献が12世紀にラテン語へと翻訳され、西欧哲学に衝撃を与えた。ヴィルヘルム・フォン・メルベケによるギリシア語原典からの直接翻訳もこの流れを加速させた。
【影響の広がり】
当初アリストテレスは教会から警戒され、パリ大学では1210年・1277年に一部教説が禁令されたが、アルベルトゥス・マグヌスとその弟子トマス・アクィナスは『神学大全』で信仰と理性、啓示とアリストテレスを大胆に統合した。彼の四原因論の応用、存在と本質の区別、自然法倫理学は、カトリック思想の骨格となり現代まで続いている。一方でドゥンス・スコトゥスやオッカムはこの総合に批判を加え、唯名論の流れを生んだ。ラテン・アヴェロエス主義は二重真理説によって信仰と哲学の分離を示唆し、近代の世俗化思想の遠い源流ともなった。宗教改革はこの総合を批判的に乗り越える試みであり、近代科学革命はアリストテレス自然学を克服する試みだった。20世紀の徳倫理学復興(マッキンタイア、アンスコム、ヌスバウム)はアリストテレス再受容の現代版と言える。
【さらに学ぶために】
エティエンヌ・ジルソン『中世哲学史』は中世哲学を思想史的に通覧した古典的教科書である。トマス・アクィナス『神学大全 神について』はアリストテレスと神学の統合を体感できる代表作である。

