
イブン・ルシュド(アヴェロエス)
Averroes (Ibn Rushd)
1126年 — 1198年
アリストテレスの「大注釈者」
この人物について
アリストテレスの最も忠実な注釈者として「大注釈者」と称され、哲学的理性の擁護者としてイスラーム世界とヨーロッパの双方に巨大な影響を与えた。
【代表的な思想】
■ アリストテレス注釈
アリストテレスの著作に対する三層の注釈(大注釈・中注釈・要約)を著し、その思想の最も正確な解釈者と認められた。ダンテの『神曲』でも「大注釈者」として言及されている。
■ 哲学と宗教の調和
哲学と宗教はともに真理に至る道であるが、哲学は論証によって、宗教は修辞と象徴によって同じ真理を表現するとした。理性的探究は信仰と矛盾せず、むしろクルアーンによって命じられているとさえ論じた。
■ 『矛盾の矛盾』
アル=ガザーリーの『哲学者の矛盾』に対する反論書。哲学的探究を否定するガザーリーの議論の矛盾を一つ一つ指摘し、理性の正当性を力強く擁護した。
【特徴的な点】
アル=ガザーリーが哲学に対する信仰の優位を主張したのに対し、イブン・ルシュドは理性と信仰の調和を徹底的に擁護した。ラテン語訳を通じてヨーロッパに伝わり、「ラテン・アヴェロイズム」という思想運動を生んだ。
【現代との接点】
宗教と科学の関係をめぐる議論において、両者の調和を理性的に追求するイブン・ルシュドの姿勢は今なお参照される。イスラーム世界における合理主義の伝統を示す重要な存在でもある。
さらに深く
【思想の形成】
イブン・ルシュド、ラテン名アヴェロエスは1126年、ムワッヒド朝統治下のコルドバにマーリク派の高名な法学者の家系に生まれた。祖父も父もコルドバの大法官(カーディー)を務めた家柄で、彼自身も法学・医学・天文学・哲学を体系的に修めた。師イブン・トゥファイルの推挙によってカリフ・アブー・ヤアクーブ・ユースフに謁見し、アリストテレスの著作を分かりやすく解き明かすよう依頼されたのが思想的出発点となる。以後、セビリャとコルドバの大法官を歴任しつつ、アリストテレスの諸著作に対して大注釈・中注釈・小注釈の三層の注解を書き続けた。1195年、ウラマーの告発で哲学書の焚書と追放に遭うが、翌年赦免され、1198年にマラケシュで没した。
【思想的意義】
イブン・ルシュドは、哲学と啓示がともに真理へ至る二本の道であるとし、両者の見かけ上の齟齬は比喩的解釈(タアウィール)によって調停できると説いた。『決定的論説』では、コーラン自身が観想の実践を命じていることを根拠に、哲学的探究の宗教的正当性を論証した。『矛盾の矛盾』はガザーリー『哲学者の矛盾』への逐条反論であり、因果性の否定と世界の時間的創造説に対して、アリストテレス的な必然性と世界の永遠性の側から答えている。能動知性《のうどうちせい》を人類に共通する単一の超個体的実在とみなす「知性単一説《ちせいたんいつせつ》」は、彼の形而上学のもっとも議論を呼んだ主張であった。医学では『医学大全』を著し、外科と発熱論に独自の知見を加えている。
【影響と継承】
イスラーム世界内部では彼の哲学はほとんど継承されず、むしろヘブライ語とラテン語の翻訳を通じてユダヤ教・キリスト教圏で爆発的に読まれた。マイモニデスはアリストテレスの受容にあたって彼の注解を基本文献とした。十三世紀パリ大学ではシゲルス・デ・ブラバンティアらを中心にラテン・アヴェロイズムが形成され、トマス・アクィナスが『知性単一論』で批判する相手となる。1277年のパリ司教タンピエによる禁令は、この運動への警戒を背景に発せられた。ダンテは『神曲』地獄篇第四歌で彼を「偉大な注解者」と称え、徳ある異教徒の列に置いた。近現代ではエルネスト・ルナンの研究が彼の再評価を促し、アラブ世界の合理主義の伝統を象徴する存在となった。
【さらに学ぶために】
『決定的論説』は中村廣治郎《なかむらこうじろう》訳(平凡社東洋文庫)で読め、信仰と理性の関係を平明に提示している。小林春夫《こばやしはるお》『アヴェロエス 中世イスラームの合理主義』が日本語の概説として詳しい。映画「宿命(アル・マスィール)」(ユーセフ・シャヒーン監督)は晩年の追放事件を題材にした作品である。


