『歴史と階級意識』
れきしとかいきゅういしき
ゲオルク・ルカーチ·現代
物象化と階級意識を解明した西欧マルクス主義の出発点
この著作について
ゲオルク・ルカーチ(György Lukács)が1923年に刊行したマルクス主義哲学の金字塔(原題『Geschichte und Klassenbewusstsein』)。ソ連型マルクス主義の教条化に対する西欧マルクス主義の出発点をなし、アドルノ・ホルクハイマー・マルクーゼらフランクフルト学派、グラムシ、サルトル、メルロ=ポンティに巨大な影響を残した記念碑的論集である。
【内容】
本書は独立に書かれた八篇の論文から構成される。中核をなすのは「物象化(Verdinglichung)とプロレタリアートの意識」で、マルクスが『資本論』第一巻で提示した商品物神性論を、ヘーゲル弁証法と結びつけて総体化する。資本主義のもとでは人間の社会的関係が物と物の関係として現れ、労働者自身の活動が商品化される。この物象化の構造は経済領域を超え、法・官僚制・科学・哲学・芸術の全領域を貫通する。しかしプロレタリアートだけが、自らを商品として経験する立場から出発して、この物象化の構造総体を自己認識へと止揚することができる。階級意識はこうして単なる心理的事実ではなく、歴史的総体性を認識する認識論的特権的立場として定義される。
【影響と意義】
本書は刊行直後にコミンテルンの批判を受け、著者自身が長年にわたり自己批判を余儀なくされたが、西側ではフランクフルト学派の理論的背骨となり、アドルノ『否定弁証法』、サルトル『弁証法的理性批判』、グラムシ『獄中ノート』、アルチュセール『マルクスのために』の共通の参照点となった。物象化論は現代の疎外論・承認論(ホネット)・消費社会論・プラットフォーム資本主義論にも継承されている。
【なぜ今読むか】
あらゆる社会的関係が数値化・商品化される現在、その精神史的ルーツを遡るための最短の古典として機能する。
どの訳で読むか
全8篇を通して読めるのは白水社の城塚・古田訳だが、紀伊國屋書店のウェブストアが注文を受け付けておらず(2026年10月時点)、古書か図書館で探すことになる。版元の未來社のサイトに載っている平井訳が収めるのは、「物象化とプロレタリアートの意識」と「階級意識」の2篇だけである。
平井俊彦訳未來社、1998年新装版(元版は1962年)
Amazonで探す版元の目次では、「物象化とプロレタリアートの意識」と「階級意識」の2篇だけを収める抄訳で、訳者あとがきと原語対照表が付く。360頁。他の6篇は入っていないので、物象化論と階級意識論を読むための本になる。
城塚登・古田光訳白水社・イデー選書、1991年
Amazonで探す同じ訳者による版が、1968年にルカーチ著作集の第9巻として出ている。紀伊國屋書店の目次では「正統的マルクス主義とはなにか」から「組織問題の方法論」までの8篇を収め、本書の全体を通して読める。564頁。紀伊國屋書店のウェブストアは2026年10月時点で注文を受け付けていない。
さらに深く
【内容のあらまし】
1922年のクリスマスにウィーンで書かれた序文で、ルカーチは、収めた論文の多くが党の実際の仕事から生まれたこと、物象化論と組織論の2篇だけは強いられた余暇のあいだに、既存の折々の文章をもとに本書のために書いたことを明かす。並んだ順に読むのがよいが、哲学に不慣れな読者は物象化の章を最後に回してもよいという。
巻頭の「正統的マルクス主義とはなにか」は仮定から入る。最近の研究がマルクスの個々の命題をすべて反証したとしても、まじめな正統派はその成果を受け入れ、命題を丸ごと捨てても正統でいられる。正統とはもっぱら方法にかかわるからだ。続くローザ・ルクセンブルク論は、マルクス主義をブルジョワ思想から分けるのは経済的動機の優位ではなく、全体性の観点だと言い切る。「階級意識」は、マルクスの主著が階級を定義しようとするところで途切れていることから書き起こす。階級意識を、階級を構成する個々人が考えたり感じたりしていることの総和でも平均でもなく、生産過程での典型的な位置に「帰属」させられる、ふさわしく合理的な反応として捉え直す。
「物象化とプロレタリアートの意識」は3部に分かれる。第1部は、人と人との関係が物の性格を帯びて「幻のような対象性」を得るという商品構造の分析から始まり、労働者の心理的な性質まで人格から切り離すテイラー・システムや、書類と手数料を上から入れると判決と理由が下から出てくる、ヴェーバーの自動販売機のような裁判官を例に引く。第2部「ブルジョワ思想の二律背反」は、近代の批判哲学が物象化した意識から生まれたとし、難問はカントの物自体の概念にもっともはっきり表れると見る。第3部「プロレタリアートの立場」は、マルクスの初期の言葉を引き、プロレタリアートの自己理解は同時に社会の本質の客観的な理解でもあると述べて始まる。労働者は自分を商品と意識して初めて社会での位置を意識でき、客体の役割から実践で抜け出せないかぎり、その意識は「商品の自己意識」だという。最後の段落は、プロレタリアートの意識が問われるとき歴史は最も自動的でなくなると述べ、経済の発展が与えるのは社会を変える機会と必要だけだとする。
残る4篇のうち、「史的唯物論の機能変化」には、序文の言葉によれば、革命の期間と速さへの楽観しすぎた希望の名残がある。「合法と非合法」は、非合法のロマン主義を共産主義運動の小児病と呼ぶ。続く1篇は、ルクセンブルクが獄中で急いで書いたロシア革命批判を検討する。最後の「組織問題の方法論」は、党の規律、つまり全人格を運動の実践に無条件で没入させることが、本当の自由に至る唯一の道だと論じる。