『否定弁証法』
ひてい べんしょうほう
現代
アドルノの哲学的主著
この著作について
テオドール・W・アドルノが長年の思索を晩年に集約した哲学的主著で、フランクフルト学派批判理論の哲学的頂点をなす書物。
【内容】
ヘーゲル弁証法が対立を「総合(アウフヘーベン)」で回収していく運動を、アドルノは概念による暴力の極致と見なす。本書はその総合を拒み、概念では捉えきれない「非同一的なもの」に思考を差し向ける方法を模索する。「序論」ではカントにもヘーゲルにも抗う「哲学的経験」の概念が練り上げられ、「範疇」「自由」「世界精神と自然史」「形而上学についての省察」の諸篇で、自由意志論、歴史哲学、ベンヤミンとの対話、死と希望の問題が次々に展開される。独特の「星座」的布置の叙述では、既成の概念を元の並びから取り出して一つの事柄のまわりに配置し直し、分類に収まりきらないその事柄に蓄えられた歴史的な動きを解き放とうとする。
【影響と意義】
マルクス、ヘーゲル、ニーチェ、ベンヤミン、ハイデガーを鋭く批判的に継承し、戦後ヨーロッパ思想の一つの極点を示した。ジグムント・バウマンらによるホロコースト研究にも影響を及ぼし、ポストコロニアル理論やジェンダー理論にも深い影響を与え続けている。
【なぜ今読むか】
複雑な世界を手早い一言で片付けようとする言説が溢れるいま、「概念に取り逃がされるもの」に耳を澄ます姿勢は貴重である。読みやすい本ではないが、安易な総括に抗う思考の筋肉を鍛える哲学書として価値を持ち続けている。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書はアドルノ晩年の哲学的主著で、序論と三つの部からなり、小見出しを付けた多くの節を連ねて論を進める形をしている。
序論「哲学の可能性」で練り上げられるのは「哲学的経験」の概念であり、それはカントによる現象とヌーメノンの区別に異を唱え、ヘーゲルによる絶対精神の構築を退ける。あらゆる出来事を概念で総合してきたヘーゲル弁証法は、概念に収まらない個別のものまで全体のなかに回収しようとする。アドルノはこの総合の運動こそ、概念による暴力の極致だと診断する。だから哲学は、対立を解消するアウフヘーベンではなく、解消できない非同一的なものに執拗にとどまる「否定の弁証法」へと組み直されねばならない。
第一部ではハイデガーの基礎存在論との違いが示され、第二部では、ドイツ観念論から受け継いだ諸範疇を組み替えながら、概念と対象のあいだに決して埋まらない隙間が論じられる。リンゴという概念は、目の前のこの果実の傷、重さ、香りの一切を取りこぼす。哲学はその取りこぼしにこそ眼を向けるべきだと説かれる。第三部は「モデル」と呼ばれる三つの具体的分析にあてられる。「自由」のモデルではカント倫理学が再読され、自由意志を内的な自律として救おうとするカントの試みにすでに社会的強制が滑り込んでいる構造が暴かれる。「世界精神と自然史」のモデルでは、ヘーゲルの世界史の進歩物語が自然史としての破局と隣り合わせに置き直される。
本書の頂点は第三部の最終モデル「形而上学についての省察」である。ここでアドルノは、アウシュヴィッツ以後、形而上学の言葉は素朴には使えないが、絶望のさなかで完全に放棄することもできないと語る。死の収容所の悲鳴を聞いてしまった以上、「すべては意味がある」とも「すべては意味がない」とも言えない。彼はベンヤミンの一文を引いて希望を論じ、最後に、ごく小さなものに目を向ける思考は崩れ落ちる瞬間の形而上学と連帯する、と述べて本書を結ぶ。
読み終えても明確な結論は与えられない。それこそが本書の方法であり、安易な総合に抗う思考のレッスンとして、読者を長く逡巡のなかにとどめる。
著者
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