
ゴルギアス
Gorgias
紀元前483年 — 紀元前375年
「何もない、知ることもできない、伝えることもできない」と説いたソフィストの雄弁家
この人物について
シチリア出身の弁論家・ソフィストで、絶対的な知識の不可能性を主張しながら弁論術の極致を追求した古代ギリシアの哲学者。
【代表的な思想】
■ 三重の虚無主義
「何もない。あるとしても知ることができない。知ることができても他者に伝えることができない」という三段論法的命題で存在・認識・言語の限界を根本から問うた。
■ 弁論術(レトリック)の哲学
真理そのものより、聴衆を説得する言葉の力を重視した。弁論術は魂を動かす技術であり、哲学よりも実践的な力を持つと主張した。
■ 相対主義の徹底
プロタゴラスとともにソフィスト的相対主義を代表し、客観的真理の存在を疑う立場を徹底した。
【特徴的な点】
プラトンの対話篇『ゴルギアス』では、ソクラテスの論敵として登場し、弁論術と哲学の優劣をめぐる議論が展開される。弁論術を「魂の料理人」にすぎないと批判するソクラテスとの対比が鮮明。
【現代との接点】
言語が現実を構成するという発想は、現代の言語哲学や脱構築理論にも通じる。「語ることの限界」を問うた彼の問いは、情報があふれる現代においても色褪せない。
さらに深く
【思想の形成】
ゴルギアスは紀元前483年頃、シチリア島南東のカルキス系植民都市レオンティノイに生まれた。同じシチリアのアクラガス出身の自然哲学者エンペドクレスに学んだと伝えられ、エレア派ゼノンの帰謬法にも精通していた。前427年、故国の外交使節団長としてアテナイを訪れ、シラクーサ侵攻の脅威を訴える演説を議会で行った際に披露した対句・韻律・誇張的修辞が、アッティカ散文に技術的革命を引き起こした。以後ギリシア各地を遊歴し、テッサリアのラリッサを拠点に高額の授業料で弁論術を教える職業的教師となった。オリンピア祭で演説した『オリンピア演説』、パリスとともにスパルタを去ったと非難されたヘレネーの無実を弁じた『ヘレネー頌』、実在と虚構の境を揺るがす『パラメデスの弁明』といった演示演説(エピデイクシス)は、修辞の自律的な力を実演する試みであった。
【思想的意義】
ゴルギアスの哲学的主張として後世に伝わる『あらぬものについて』は、「何もない。あるとしても知ることはできない。知ることができても他者に伝えることはできない」という三段論法的命題で、存在論・認識論・言語論の三層にわたり知の可能性を疑う根底的批判である。これはエレア派パルメニデスの「ある」の論証を逆用して不可知の結論を導く、鮮やかな反証の実演であった。同時に『ヘレネー頌』では、言葉を「最も小さく目立たない身体で最も神的な業をなしとげる力ある支配者」と定義し、魂を薬のように動かす物質的な力として言語を捉えた。真理へのアクセスが閉ざされているからこそ、人間は説得のコミュニティのなかで共に生きなければならないとする認識は、政治と修辞を切り離さない古代民主政の哲学的基盤となる。
【影響と継承】
プラトンは対話篇『ゴルギアス』で彼を真理探究よりも説得を優先する者として批判したが、この厳しい論難自体がゴルギアスの影響の大きさの裏返しであった。弟子イソクラテスは政治的教養としての修辞学を発展させ、西洋のリベラル・アーツ伝統を打ち立てた。ローマではキケロとクインティリアヌスがその修辞理論を受け継ぎ、中世の三学の基本教科となった。19世紀にはヘーゲルやグロートがゴルギアスらソフィストの名誉回復を試み、現代では彼の知・言語・真理をめぐる考えがハイデガーやデリダの見方を先取りしていたと論じる研究者もいる。ポスト真実時代の議論でもゴルギアスは必ず召喚される古典である。
【さらに学ぶために】
プラトン『ゴルギアス』がもっとも手軽な入口である。断片集は内山勝利《うちやまかつとし》編『ソクラテス以前哲学者断片集』で読める。納富信留《のうとみのぶる》『ソフィストとは誰か?』と『哲学の誕生』はソフィスト再評価の潮流を示す好著。イソクラテス『弁論集』、ニーチェ『哲学者の書』と並べれば修辞と哲学の歴史的緊張が鮮明になる。



