『オリンピア演説』
おりんぴあえんぜつ
古代
ゴルギアスがオリンピア祭典で行った汎ギリシア主義演説
この著作について
紀元前5世紀後半、ソフィスト・ゴルギアスがオリンピア祭典の場で行ったとされる演示弁論である。原題は Ὀλυμπικός(オリュンピコス)、現存するのは断片のみであり、ディオゲネス・ラエルティオスやフィロストラトスなどの後代著作家の引用を通じて全体像が再構成される。
【内容】
本演説の主題は、ギリシア諸都市が互いに抗争を続けることをやめ、対ペルシア戦のために民族的協和(ホモノイア)を結ぶべきだという主張である。同胞同士の戦いではなく、共通の異民族こそ敵に向けるべき相手だという論法は、後にイソクラテスが『民族祭典演説』で展開する汎ギリシア主義の先駆的形態となった。修辞学的にはゴルギアス特有の対句法・脚韻・対称構文を駆使した華麗な文体で、説得力と装飾美を両立させる演示弁論の典型例として古代から名声を博した。
【影響と意義】
断片しか残らないにもかかわらず、本演説は古代修辞学史において繰り返し言及される作品である。とくにイソクラテスへの直接的影響、さらには汎ギリシア主義というイデオロギーの起源として位置づけられている。
【なぜ今読むか】
言葉が共同体を統合する力を持つという古代ギリシアの確信を、現代の政治演説論や説得術の原点として読み解ける。
さらに深く
【内容のあらまし】
本文は残っていない。伝わるのは、後代の著作家が書き留めた序論の一句と主題の要約、それに演説をからかった逸話である。それらを序論、本題、反響の順に並べ、同じ考えで書かれた別の演説と比べると、おおよその輪郭が見えてくる。
序論の一句を伝えるのはアリストテレスの『弁論術』である。ゴルギアスはそこで「多くの者から讃えられるにふさわしい、ギリシアの人々よ」と呼びかけた。アリストテレスはこれを、祭典を開いて人々を集める者たちへの賛辞と読み、褒めることから入る演示弁論の序論の例に挙げている。
本題は、ソフィストたちの伝記を書いたフィロストラトスがまとめている。内輪もめを続けるギリシアを見たゴルギアスは、和合を勧める助言者として立ち、人々の目を異民族へ向けさせた。武器を取って勝ち取る賞品は互いの都市ではなく、異民族の土地であるべきだと説いたという。フィロストラトスはこれを、彼が最も大きな問題に取り組んだ演説と見ている。同じ章で彼は、悲劇に衣装や舞台の仕立てを加えたアイスキュロスにゴルギアスをなぞらえ、勢いのある語り口や逆説、大きな事柄を大きく語る話し方で、ソフィストたちの先駆けとなったと書く。
演説をからかった逸話を伝えるのはプルタルコスである。ゴルギアスがオリンピアでギリシア人に和合の演説を読み上げると、メランティオスという男が、和合を説くこの人は、家の中で自分と妻と女中のたった3人さえ和合させられていないと皮肉った。ゴルギアスが女中に思いを寄せ、妻が嫉妬していたらしいとプルタルコスは添えている。
フィロストラトスによれば、アテナイで戦死者を弔った演説も同じ考えで組み立てられていた。ただし支配を望むアテナイ人の前ではギリシア人どうしの和合には触れず、ペルシア戦争の勝利をたたえて、異民族に勝った記念は賛歌を求め、ギリシア人に勝った記念は哀歌を求めると示した。
パウサニアスは、オリンピアの奉納品のなかにあるゴルギアスの像を、彼の姉妹を妻とした人物の孫エウモルポスが奉納したものだと書き、ゴルギアスがオリンピアの祭典の集まりで弁舌の名声を得たという言い伝えも記している。イソクラテスは、のちに書いた祭典演説を、祭典を設けた人々が体の力に報いながら知恵には何の賞も設けなかったことへの驚きから書き起こし、異民族との戦いとギリシア人どうしの和合を説いた。アリストテレスは、同じ型の序論を褒める側から始めた例としてゴルギアスを、咎める側から始めた例としてイソクラテスを並べている。
著者
関連する哲学者と話してみる
