専門編 · 20世紀の哲学者たち · 第76章
ドゥルーズ:差異が反復する世界
1995年11月4日、パリ17区のアパートで70歳のジル・ドゥルーズは窓から身を投げました。長年の肺気腫で常に酸素ボンベが必要となり、執筆も困難になっていた。「友人にとって、自殺がもっとも誠実な選択であるときがある」と彼は晩年に書いていました。本章ではこの哲学者の生涯と、フランス現代思想のもう一つの極を辿ります。
哲学史を書き直す — ヒューム・ベルクソン・スピノザ
1925年パリ生まれのドゥルーズは、戦後フランスの大学で長く哲学史研究者として知られていました。1953年の最初の単行本はヒュームの経験論論であり、続いてベルクソン、ニーチェ、カント、スピノザ、ライプニッツに関する単著が並びます。彼の特徴は、哲学者を解釈するのではなく、彼らの概念を組み立て直して別の哲学を生み出す手法でした。
「私の本の書き方は、哲学者の背後から忍び寄り、彼の子を孕ませることだ」というドゥルーズの不穏な比喩は、彼の方法を端的に示しています。ヒュームから経験のミクロ分析を、ベルクソンから時間の多様体を、スピノザから内在性を、ニーチェから差異と肯定を取り出して、自分自身の体系の素材に変えていく。哲学史は彼にとって博物館ではなく、現在の哲学的問題を解くための工具箱でした。
『差異と反復』 — 同一性の暴政から差異へ
1968年、43歳のドゥルーズは博士論文として『差異と反復』を提出します。「もう君らに教えることは何もない」と指導教官のイポリットが言ったほど異例の論文でした。彼が攻撃したのは、プラトン以来の西洋哲学を貫く「再現=表象」の論理です。私たちは普通、二つのものが「異なる」と言うとき、まず両者を同じカテゴリーに置いてその上で比較する。だが真の差異は、こうした比較の手前で、それ自体として存在する強度的な力だ、と彼は主張します。
反復も同様に、同じものの単純な繰り返しではなく、毎回の差異を生み出す生産的な運動として捉え直されます。ニーチェの永遠回帰は、ドゥルーズの読みでは、同じものの回帰ではなく差異そのものの回帰として再生する。同一性が差異から派生するという、哲学史を貫く前提の逆転がここで宣言されました。フーコーが「いつかこの世紀はドゥルーズ的になるだろう」と予言したのは、この書物に対してでした。
ガタリとの出会いと『アンチ・オイディプス』
1969年、ドゥルーズはラ・ボルド精神病院の精神分析家フェリックス・ガタリと出会います。ガタリは患者と医師を対等に扱う制度精神療法の実践者でした。二人の対話から1972年の『アンチ・オイディプス』が生まれます。副題は「資本主義と分裂症」。フロイト精神分析が欲望をブルジョワ家族(父・母・子)の三角形に閉じ込めてきたと批判し、欲望を生産的・機械的な力として捉え直す「分裂分析」を提唱しました。
1968年五月革命の余熱が冷めぬパリで、この本は知的事件となります。マルクス主義と精神分析の双方を再編成しようとする壮大な試みは、伝統的な左翼からも精神分析家からも激しい反発を受けながら、若い世代に熱狂的に支持されました。1980年の『千のプラトー』では、この共著の方法がさらに展開され、「リゾーム」「脱領土化」「逃走線」「器官なき身体」「動物への生成変化」といった概念群が次々と発明されていきます。
リゾームと最期 — 「ひとつの生」
リゾームとは、地下茎のように中心も階層も持たず、どの点からも他のどの点へも接続しうる横断的なネットワークの形象です。樹木型の知が二項対立と中央集権を本質とするのに対し、リゾーム型の知は接続・異質性・多様性の原理に従う。インターネットの登場以前にこの概念が提示されていた事実は、今読むと予言的にすら響きます。
晩年のドゥルーズはスピノザを「諸哲学者の王」と呼び続け、内在性の哲学を最後まで深めていきました。最晩年の遺稿「内在:ひとつの生」は、特定の主体に帰属しない非人称的な「ひとつの生(une vie)」として内在性の最終的な定式化を試みた小論です。1995年の死の数か月前に発表されたこの遺言のような短い文章を、彼の哲学の終止符と読む解釈も多い。次章では、英語圏でこの世代に並ぶ仕事をしたロールズに進みます。
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