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専門編 · 20世紀の哲学者たち · 第72

ボーヴォワールとカミュ:他者と不条理

1960年1月4日、サンスから南へ向かう国道で1台の車が街路樹がいろじゅ激突げきとつし、後部座席に乗っていた46歳の男が即死そくししました。アルベール・カミュです。彼は3年前にノーベル文学賞を受賞したばかりで、ポケットには未使用の列車の切符と、未完の小説の手書き原稿が入っていました。本章は彼と、同時代人ボーヴォワールを並べて読みます。

ボーヴォワール — 「他者」としての女性の発明

1949年、シモーヌ・ド・ボーヴォワールが発表した第二の性は、フランス国内だけで初週に2万2千部が売れる事件となりました。ヴァチカンは禁書目録きんしょもくろくに加え、英訳版はアメリカの編集者によって3章が密かに削除された。冒頭の宣言はこうです。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」。性差を生物学的所与から解き放ち、社会的に構築された役割として読み直す視座を切り開いた一文でした。

彼女が導入した中心概念が「他者としての女性」です。男性が暗黙の主体として設定される社会では、女性は男性にとっての他者として規定され、自分自身の主体性を獲得することが構造的に困難になります。サルトルの対自と即自の対立、ヘーゲルの主と奴の弁証法を組み替えながら、女性の状況を倫理的かつ政治的問題として記述する手法は、後の第二波フェミニズムの理論的出発点となります。

『第二の性』 — 千ページの解剖学

『第二の性』は二巻合わせて千ページを超える大著で、生物学・精神分析・歴史・文学を横断します。第一巻「事実と神話」では、女性をめぐる思想史が批判的に検討され、フロイトエンゲルス、神話・宗教における女性像が解剖される。第二巻「体験」では、少女期から結婚・母性・老いに至る具体的な生涯を、女性自身の経験に即して描きました。

注目すべきは、ボーヴォワールが「フェミニスト」を名乗ることに長く慎重だった事実です。1972年になって彼女は明確にフェミニズム運動に関わり始め、女性解放運動(MLF)を支援します。哲学者でありながら、運動と理論の関係を一貫して問い直し続けたその姿勢は、ジュディス・バトラーをはじめ後の世代のフェミニスト哲学者のモデルとなりました。

カミュと『シーシュポスの神話』

1913年フランス領アルジェリアの貧しい家庭に生まれたカミュは、第二次大戦中にレジスタンスの新聞「コンバ」の編集長へんしゅうちょうを務め、戦後は実存主義圏の中心人物の一人となります。1942年に出版されたシーシュポスの神話は「真に重大な哲学的問題は一つしかない、それは自殺だ」という衝撃的な冒頭から始まる、不条理についての考察でした。

神々に罰として永遠に岩を山頂へ運ぶよう命じられたシーシュポス。岩が転がり落ちる頂上に達するたびに、彼は再び下まで取りに戻らねばなりません。カミュはこの徒労とろうのなかに、世界の沈黙と人間の意味への要求とのあいだに開く裂け目、つまり不条理ふじょうりを読み取りました。それでも結びは衝撃的です。「シーシュポスを幸福だと想像せねばならない」。意味のない労苦そのものを引き受けることのなかに、人間の尊厳がある、と。

サルトルとカミュの決裂 — 自由と反抗

1951年に出版された反抗的人間は、不条理の哲学を倫理と政治へ拡張する試みでした。歴史の名のもとに人間を手段化する革命のロジックを批判し、不正義への「反抗」を、無際限むさいげんの暴力ではなく自他の尊厳を守る限度げんどある行為として再定義する。この立場はソ連型共産主義を擁護していたサルトル陣営の激しい反発を呼びました。

1952年、サルトルが編集する「現代」誌に掲載された痛烈な書評をきっかけに、両者は公開で決裂します。革命の暴力を擁護するサルトル、限度ある反抗を説くカミュ。アルジェリア戦争でカミュはフランス側からもFLN側からも非難されながら、最後まで暴力の制限を求めて発言を続けた。1960年の事故死は、彼の議論を未完のまま残しました。次章では、戦後の同じ問いを別の地平から問うた、アーレントの政治哲学に進みます。