専門編 · 20世紀の哲学者たち · 第73章
アーレント:政治と「公共」の再生
1961年4月、エルサレムの仮設法廷。アドルフ・アイヒマン裁判の傍聴席に、「ニューヨーカー」誌特派員として55歳のハンナ・アーレントが座っていました。ガラスの防弾ブースの中で官僚的に答え続ける被告を見ながら、彼女はある違和感に襲われます。ここに座っているのは怪物ではありません。本章はその瞬間に始まる「悪の凡庸さ」をはじめ、彼女の政治哲学の核心を辿ります。
18年間の無国籍 — 『全体主義の起源』を生きる
1906年ハノーファー生まれのアーレントは、マールブルク大学で18歳のときハイデガーの講義に出会い、35歳の既婚教授と密かな恋愛関係に入ります。やがてヤスパースのもとで博士号を取得しますが、1933年ナチス政権成立直後にゲシュタポに逮捕投獄されました。釈放後パリへ亡命、1940年再度フランスで収容され、ギュル収容所から脱出してニューヨークへたどり着きます。
1941年から1951年まで、彼女は無国籍者でした。この10年の経験が『全体主義の起源』第二部「帝国主義」の核心となります。「人権は国民国家の枠の中でしか機能しない。国を失った瞬間に、人は人間としての権利すら失う」。彼女はこの構造的破綻を、自分自身の身分証で確認していたのです。1951年にアメリカ国籍を得たとき、すでに彼女は45歳になっていました。
悪の凡庸さ — アイヒマンの傍聴席で
ニューヨーカー誌の特派員としてエルサレムへ向かったアーレントが目撃したのは、何百万人ものユダヤ人を強制収容所へ送る列車運行を担当した官僚アドルフ・アイヒマンでした。彼女が驚いたのは、被告が悪魔のように描かれた予想図とまったく異なる、ありふれた小役人だったことです。アイヒマンは命令を効率よく実行することにのみ熱心で、自分が何をしているかを最後まで考えていませんでした。
1963年に出版された『エルサレムのアイヒマン』の副題に掲げた「悪の凡庸さ(banality of evil)」は、20世紀政治思想の鍵語の一つとなりました。悪は深淵から湧くのではなく、「考えないこと」から生じえます。この主張は、ユダヤ人共同体から「アイヒマンを擁護した」と激しい非難を浴び、長年の友人ゲルショム・ショーレムとの絶縁を招きます。それでも彼女は撤回しませんでした。考えることをやめた瞬間に開く奈落こそが、戦後思想の中心問題だ、と。
労働・仕事・活動 — 『人間の条件』
1958年に出版された『人間の条件』では、人間の「活動的生(vita activa)」を労働・仕事・活動の三つに区別します。労働(labor)は生命維持の循環、仕事(work)は耐久的な世界の制作、活動(action)は他者とともに言葉と行為を交わす独自に政治的な営みです。古代ギリシアのポリスは活動の場でしたが、近代は労働と消費が前面に出て、活動の領域が縮小していくと彼女は診断しました。
活動だけが「複数性(plurality)」という人間の根源的事実、すなわちただ一人ではなく多様な誰かが共に生きているという事実に応える唯一の様式です。アーレントにとって自由とは、選択の自由ではなく、新しい何かを始める力でした。生まれてくる一人一人が世界に新規性を持ち込むこの「出生(natality)」は、彼女が死をめぐるハイデガーの存在論に対置した独自の概念です。
未完の判断論 — タイプライターに残された一枚
晩年の未完の三部作『精神の生活』では、思考・意志・判断が分析されます。第三部の判断論で彼女が依拠したのが、カントの『判断力批判』でした。政治的判断は義務の演繹からは出てきません。事例に向き合い、他者の立場で考え、共通感覚に訴えるものでなければならない、と彼女は語ります。
1975年12月4日、69歳のアーレントはニューヨークの自宅で晩餐の客と歓談していた最中、心臓発作で急逝します。タイプライターには『精神の生活』第三部「判断」と書かれた一枚の紙が残されていました。タイトルだけ。本文は永遠に書かれずに終わったのです。その射程は、ハーバーマスの公共圏論からムフの闘技的政治まで、現代の政治哲学に深く伸びています。次章では、彼女と同じ亡命の経験から異なる倫理を打ち立てたレヴィナスに進みます。
20世紀の哲学者たち · 第73章