「人間は生まれながらにして自由である、しかしいたるところで鎖につながれている」
ルソー近代
ルソーが『社会契約論』第1編第1章の書き出しで、自由と拘束の矛盾を示した言葉。
この言葉について
さらに深く
【出典】
本人の著作にある。1762年刊『社会契約論』第1編第1章「この第1編の主題」の書き出しで、原文は L'homme est né libre, & par-tout il est dans les fers(ロム・エ・ネ・リーブル、エ・パルトゥ・イレ・ダン・レ・フェール、人間は自由なものとして生まれた、しかし至るところで鎖につながれている)。すぐ後に、他人の主人だと思っている者も、実はその人々以上に奴隷である、と続く。厳密には本の最初の文ではなく、第1編の前置きに続く章の冒頭にあたる。その前置きでルソーは、自分を自由な国家の市民として生まれた者と名乗り、政治を考えるたびに祖国の政府を愛する新たな理由を見つけると書いている。
【よくある誤解】
鎖を断ち切れという革命の呼びかけとして引かれることが多いが、ルソーはすぐに問いを立て直している。この変化はどのようにして起こったのか、私は知らない、何がそれを正当なものにしうるのか、この問いなら解けると思う、と書くのである。つまり『社会契約論』の課題は鎖を外すことではなく、人々を結ぶ拘束がどうすれば正当になるかを示すことにある。この本の問いは、個人の自由と国家の権威をどう和解させるかという、ルソーが政治の根本と考えた問題である。その答えとしてルソーが示すのが、国家は構成員の一般意志に導かれるときにのみ正当でありうる、という考えである。
【この言葉のその後】
刊行の年、『エミール』はパリで断罪され、ジュネーヴでは『エミール』と『社会契約論』がともに宗教上の異端を理由に断罪された。ジュネーヴに生まれその市民だったルソーは、1763年5月に市民権を放棄した。逮捕を逃れるため、まずスイスに、のちにはイギリスに身を寄せている。それでも影響は大きく、最も重要な哲学上の影響はカントに及んだ。カントの家に飾られていた唯一の絵はルソーの肖像だった。現代の政治哲学では、自由主義、共同体主義、市民的共和主義、熟議民主主義のいずれにもルソーの影響が見いだされる一方、敵対的な論者は、フランス革命の権威主義的な面や、その先のファシズムや共産主義の源としてルソーを描いてきた。
この言葉を残した人物
「自由」の名言
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」
ボーヴォワールが『第二の性』第2巻の冒頭で、女性のあり方は作られると示した一文。
「自分自身の知性を使う勇気を持て」
カントが論文「啓蒙とは何かという問いへの答え」で、啓蒙の標語として掲げた言葉。
「簡素に、簡素に、簡素に生きよ」
ソローが『森の生活』で、用事を減らして生活の本質に向き合う暮らしを説いた一節。
「他人に不正をはたらく手先になれと求める法なら、法を破れ」
ソローが論考『市民の反抗』で、人を不正の手先にさせる法なら破れと説いた一文。
「人間は自由の刑に処せられている」
サルトルが『実存主義とは何か』で、言い訳なしに選び続ける人間の条件を表した言葉。
「私には夢がある」
キング牧師が1963年のワシントン大行進の演説で、人種差別の撤廃と平等を訴えた言葉。