「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」
ボーヴォワール現代
ボーヴォワールが『第二の性』第2巻の冒頭で、女性のあり方は作られると示した一文。
この言葉について
さらに深く
【出典】
本人の著作にある。1949年刊『第二の性』の第2巻「生きられた経験」の冒頭、「子ども時代」の章を始める一文で、原文は On ne naît pas femme : on le devient(オン・ヌ・ネ・パ・ファム、オン・ル・ドゥヴィヤン、人は女に生まれるのではない、女になるのだ)である。すぐ後に、生物学的、心理的、経済的ないかなる宿命も、人間の雌が社会の中でまとう姿を決めはしない、それを作り上げるのは文明全体だ、と続く。この本の抜粋が最初に発表されたのは、彼女がサルトルらと創刊した雑誌「レ・タン・モデルヌ」である。第1巻にも、人は天才に生まれるのではなく天才になる、という対になる句がある。
【よくある誤解】
この一文は、生物学的な性と社会的な性(ジェンダー)を区別した宣言としてよく読まれる。実際、多くの人がこの文を性とジェンダーの区別に気づかせたものと見なしてきた。しかしボーヴォワール自身がその区別を打ち立てるつもりだったか、それを徹底したかは、フェミニズムの中で議論が続いている。英国学士院の紀要に載った論文は、ボーヴォワール研究が、彼女はこの区別を用いておらず、性差についての実際の考えはもっと複雑だと示してきたと述べる。彼女は同時代の多くの人と同じく、二元論を、具体的な現実を捉えそこなう抽象として退けていた。
【この言葉のその後】
『第二の性』は20世紀のもっとも重要なフェミニズムの文献の一つとなり、ボーヴォワールを世に知らしめた。ただ英語圏では、1953年の最初の英訳を手がけたのが哲学の素養のない動物学者で、原文の約15パーセントを省き、中心となる哲学の概念を不正確に訳した。この一文も1953年訳は a woman と冠詞を付け、2010年の新訳は冠詞を外して woman とした。ボーヴォワール自身は長くフェミニズム運動と距離を置いたが、1972年のインタビューで自らフェミニストだと宣言した。その前年の1971年には、中絶の経験を公にする343人の女性の宣言を書き、自ら署名している。
この言葉を残した人物
「自由」の名言
「自分自身の知性を使う勇気を持て」
カントが論文「啓蒙とは何かという問いへの答え」で、啓蒙の標語として掲げた言葉。
「簡素に、簡素に、簡素に生きよ」
ソローが『森の生活』で、用事を減らして生活の本質に向き合う暮らしを説いた一節。
「他人に不正をはたらく手先になれと求める法なら、法を破れ」
ソローが論考『市民の反抗』で、人を不正の手先にさせる法なら破れと説いた一文。
「人間は自由の刑に処せられている」
サルトルが『実存主義とは何か』で、言い訳なしに選び続ける人間の条件を表した言葉。
「私には夢がある」
キング牧師が1963年のワシントン大行進の演説で、人種差別の撤廃と平等を訴えた言葉。
「人間は生まれながらにして自由である、しかしいたるところで鎖につながれている」
ルソーが『社会契約論』第1編第1章の書き出しで、自由と拘束の矛盾を示した言葉。