「自分自身の知性を使う勇気を持て」
カント近代
カントが論文「啓蒙とは何かという問いへの答え」で、啓蒙の標語として掲げた言葉。
この言葉について
他人の指導に頼らず、自分の頭で考える勇気を持つことが啓蒙であり、人間の成熟であるという宣言。
【背景】
カントが1784年の論文「啓蒙とは何かという問いへの答え」の冒頭で、啓蒙の標語として掲げた言葉。古代ローマの詩人ホラティウスの句「サペーレ・アウデ(あえて賢くあれ)」を引き、カント自身がこう言い換えた。
【解釈】
人間が未成熟なのは知性の欠如ではなく、他人に判断を委ねる怠惰と臆病が原因である。権威や慣習に盲従せず、自分の知性で判断する決意こそが啓蒙の出発点。
【現代への示唆】
情報があふれる時代に、何が正しいかを自分で考え判断する力の重要性を教えてくれる。メディアリテラシーの原点ともいえる。
さらに深く
【出典】
本人の著作にある。1784年12月の「ベルリン月報」に載った論文「啓蒙とは何かという問いへの答え」の第1段落で、カントは啓蒙を、人間が自ら招いた未成年状態から抜け出ることと定義し、続けて Sapere aude! Habe Muth dich deines eigenen Verstandes zu bedienen!(サペーレ・アウデ、ハーベ・ムート・ディッヒ・ダイネス・アイゲネン・フェアシュタンデス・ツー・ベディーネン、あえて賢くあれ、自分自身の知性を使う勇気を持て)を啓蒙の標語だとした。ラテン語の Sapere aude は、古代ローマの詩人ホラティウスの詩の一節、第1巻第2歌40行から取られている。論文の末尾には、1784年9月30日、ケーニヒスベルクと記されている。
【よくある誤解】
この標語は、自分自身の理性を使う勇気を持て、という形でも知られる。しかしカントがここで使った語は Verstand(悟性、知性)で、カント哲学で理性と対比される語である。論文の要は、その先の、理性の公的な使用と私的な使用の区別にある。学者として広く読者全体に向けて語る公的な使用は常に自由でなければならず、それだけが人々のあいだに啓蒙をもたらす。職務の中での私的な使用は、狭く制限されてもよい、とカントは言う。また、私たちは今、啓蒙された時代に生きているのかと問われれば、答えは否で、啓蒙の時代に生きているのだ、とも書く。好き勝手に考えよという勧めではなく、公共の議論の自由を求める主張である。
【この言葉のその後】
この論文は、同じ雑誌の前年12月号に載った論文の注で、寄稿者ツェルナーが、啓蒙とは何か、この問いは真理とは何かと同じくらい重要だ、と書いて答えを求めたことへの応答だった。カントは末尾の注で、同じ問いへのメンデルスゾーンの答えが、これを書いている9月の同誌に載ったことを広告で知ったが、まだ手元に届いていない、と書き添えている。ホラティウスの原句は、始めた者は半ばを成し遂げた、あえて賢くあれ、始めよ、という励ましだった。啓蒙思想の研究では、カントのこの定義は、立場の違う啓蒙思想家たちに共通する確信、つまり自分で考え、自分の知的能力に頼って何を信じどう行動するかを決めるという確信を表すものとして引かれる。
この言葉を残した人物
カントのほかの名言
「自由」の名言
「簡素に、簡素に、簡素に生きよ」
ソローが『森の生活』で、用事を減らして生活の本質に向き合う暮らしを説いた一節。
「他人に不正をはたらく手先になれと求める法なら、法を破れ」
ソローが論考『市民の反抗』で、人を不正の手先にさせる法なら破れと説いた一文。
「人間は自由の刑に処せられている」
サルトルが『実存主義とは何か』で、言い訳なしに選び続ける人間の条件を表した言葉。
「私には夢がある」
キング牧師が1963年のワシントン大行進の演説で、人種差別の撤廃と平等を訴えた言葉。
「人間は生まれながらにして自由である、しかしいたるところで鎖につながれている」
ルソーが『社会契約論』第1編第1章の書き出しで、自由と拘束の矛盾を示した言葉。
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」
ボーヴォワールが『第二の性』第2巻の冒頭で、女性のあり方は作られると示した一文。