「簡素に、簡素に、簡素に生きよ」
ソロー近代
ソローが『森の生活』で、用事を減らして生活の本質に向き合う暮らしを説いた一節。
この言葉について
生活を単純にすることで、本当に大切なものが見えてくるという実践的な哲学。
【背景】
ソローがウォールデン湖畔の小屋で2年あまり暮らした経験を記した『ウォールデン 森の生活』(1854年)の言葉。原文は「簡素」という名詞を三度重ねた叫びで、「生きよ」は訳で補った語である。
【解釈】
社会の期待や物質的欲望に追われる生活から離れ、必要最小限のもので暮らすことで、人間は本来の自由と内面の豊かさを取り戻せる。
【現代への示唆】
消費社会やミニマリズムの文脈で再注目されている思想。「もっと多く」ではなく「もっと少なく」に自由がある。
さらに深く
【出典】
本人の著作にある。1854年8月に刊行された『森の生活』(原題 Walden)の第2章「どこで、何のために生きたか」の一節で、原文は Simplicity, simplicity, simplicity!(シンプリシティ、簡素、簡素、簡素)である。続けて、用事は二つか三つにして百や千にするな、百万の代わりに半ダースを数え、帳簿は親指の爪に書けばよい、と言い、数行後には Simplify, simplify(シンプリファイ、簡素にせよ、簡素にせよ)、必要なら一日三食の代わりに一食にせよ、とも書く。同じ章でソローは、森へ行ったのは、熟慮して生き、生活の本質的な事実だけに向き合い、死ぬときに生きていなかったと気づくことのないようにしたかったからだ、と述べている。
【よくある誤解】
森にこもって世間を断ち、自給自足した記録と思われがちだが、ソローは1日か2日おきに村へぶらりと出かけ、うわさ話を聞いたと書いている。最初の8か月の食費の明細には、米、糖蜜、ライ麦粉、トウモロコシ粉、小麦粉、砂糖などの購入品が並ぶ。湖畔での暮らしは1845年7月4日から1847年9月6日までの2年2か月で、その後ソローは、森に来たのと同じくらいもっともな理由で森を去った、と書いた。もう幾つかの人生を生きる必要があり、この一つにこれ以上の時間を割けなかったのかもしれない、という。簡素さは隠遁の勧めではなく、本質に集中するための方法だった。
【この言葉のその後】
初版は2000部だった。刊行150年にあたる2004年、アメリカの新聞「クリスチャン・サイエンス・モニター」は、この本が一度も絶版になったことがないと書いている。湖畔で暮らした最初の夏の終わり近く、ソローは修理した靴を受け取りに村へ行ったところを捕らえられ、一晩牢に入った。人を家畜のように売買する国家の権威を認めず、税を払わなかったためだと本書に書いている。同じ一夜のことは論考「市民の反抗」にも書かれ、そこでは人頭税を6年払っていないと記している。
この言葉を残した人物
ソローのほかの名言
「自由」の名言
「人間は自由の刑に処せられている」
サルトルが『実存主義とは何か』で、言い訳なしに選び続ける人間の条件を表した言葉。
「私には夢がある」
キング牧師が1963年のワシントン大行進の演説で、人種差別の撤廃と平等を訴えた言葉。
「人間は生まれながらにして自由である、しかしいたるところで鎖につながれている」
ルソーが『社会契約論』第1編第1章の書き出しで、自由と拘束の矛盾を示した言葉。
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」
ボーヴォワールが『第二の性』第2巻の冒頭で、女性のあり方は作られると示した一文。
「自分自身の知性を使う勇気を持て」
カントが論文「啓蒙とは何かという問いへの答え」で、啓蒙の標語として掲げた言葉。