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近代日本

荻生徂徠

おぎゅう そらい(Ogyu Sorai)

1666年1728年

古文辞学を唱え儒学を政治の学として再構築した江戸の大儒

古文辞学儒学制度論
荻生徂徠

この人物について

朱子学の道徳主義を批判し、儒学を「先王の道《せんのうのみち》」に基づく制度設計の学問として捉え直した江戸中期最大の儒学者。

【代表的な思想】

■ 古文辞学《こぶんじがく》

中国古典を後世の注釈を介さず原文そのもので読むべきだと主張。古代中国語の直接的理解を通じて聖人の意図に迫ろうとした。

■ 先王の道

道徳とは個人の内面の修養ではなく、古代の聖王が制定した礼楽・刑政という制度のことであると論じた。朱子学の「天理」ではなく、人為的に設計された制度こそが社会秩序の基盤だとした。

■ 朱子学批判

朱子学が「理」という形而上学的原理から道徳を導くことを批判し、聖人の具体的な制度や言葉に立ち戻るべきだと主張した。

【特徴的な点】

将軍吉宗のブレーンとして政策提言も行った実践的知識人。伊藤仁斎《いとうじんさい》とは異なる角度から朱子学を批判し、江戸思想に大きな転換をもたらした。

【現代との接点】

制度設計によって社会を改善するという発想は、現代の公共政策論やナッジ理論にも通じる実践的な知の姿勢である。

さらに深く

【思想の形成】

荻生徂徠は1666年、江戸で将軍家侍医の子として生まれた。14歳のとき父が不興を蒙って上総国《かずさのくに》本納に蟄居《ちっきょ》させられ、徂徠は十余年を農村で過ごす。書物に乏しい僻地で大学諺解一冊を精読し、のち独学で四書五経を読破した体験は、彼の原典主義の原風景となった。江戸に戻ってからは柳沢吉保《やなぎさわよしやす》の儒学教授として仕え、将軍綱吉の政治顧問でもあった師・林信篤《はやしのぶあつ》の流儀を間近に見ながら、朱子学に留まらぬ独自の読みを育てていく。中国の明代古文辞派《めいだいこぶんじは》、特に李攀龍《りはんりゅう》・王世貞《おうせいてい》の「文必秦漢、詩必盛唐」という古文復古の運動に触れて、徂徠学が形を整える。享保の改革期には将軍吉宗から政策諮問を受け、学問と政治実務の接点を自ら担った稀有な儒者であった。

【思想的意義】

徂徠の核心は、朱子学の内面主義から古代の制度主義へと、儒学の重心を移し替えた点にある。弁道弁名では、道とは抽象的な天理ではなく、堯《ぎょう》・舜《しゅん》・周公といった古代聖人が人民の安心のために制作した礼楽刑政《れいがくけいせい》の総体だと定義し直した。個人の心を磨くだけでは世は整わず、制度が人を作るという視点である。この道は後世の注釈を通さず、秦漢以前の古文辞を直接読むことでしか復元できないとしたのが訳文筌蹄に示された方法論である。ここには、テクストの歴史的文脈を外せば意味は歪むという解釈学的感性が明確に芽生えている。政治論政談では租税と都市政策を具体的に論じ、実務的提案の書としても読みうる。

【影響と継承】

徂徠学は太宰春台《だざいしゅんだい》の経世論、服部南郭《はっとりなんかく》の詩文に分岐し、江戸の知的風景を一変させた。本居宣長《もとおりのりなが》の古典主義も、徂徠の古文辞学から方法的自覚を受け継いでいる。近代では丸山眞男《まるやままさお》日本政治思想史研究が徂徠を「作為の契機」の発見者として近代政治意識の萌芽と位置づけた。この読解には異論もあるが、制度を人為的構成物として捉える視点が、戦後日本の公共哲学に大きな示唆を与えたことは確かである。

【さらに学ぶために】

岩波日本思想大系『荻生徂徠』に主要著作が収録されている。入門としては田尻祐一郎《たじりゆういちろう》『荻生徂徠』(吉川弘文館人物叢書)が標準。丸山眞男日本政治思想史研究と小島康敬《こじまやすたか》徂徠学と反徂徠を併読すると、評価の多層性が見えてくる。

主な思想

近い哲学者

対立する哲学者

影響を受けた人物

影響を与えた人物

関連する著作

著作政談

徂徠が将軍吉宗に上申した江戸中期の政治改革論

著作弁道

「道」の意味を古文辞学の立場から再定義した徂徠の綱領

著作弁名

儒学の基本概念を一語ずつ語義へ遡って再定義した古文辞学の辞典

著作訳文筌蹄

和訓を排し漢文を中国語として読む徂徠の語学書

著作荻生徂徠《おぎゅうそらい》田尻祐一郎

近世日本思想史家による徂徠学とその論敵を扱った研究書

著作大学諺解林羅山

羅山が四書のひとつ『大学』を平易に解説した注釈書

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