『日本政治思想史研究』
にほんせいじしそうしけんきゅう
丸山眞男《まるやままさお》·現代
朱子学・徂徠学・国学の流れから日本近代性の萌芽を論じた丸山の主著
この著作について
丸山眞男《まるやままさお》が1940年代に発表した論文3本を編んで1952年に刊行した、日本近世思想史研究の金字塔。戦後の日本思想史研究の方向性を決めた古典。
【内容】
丸山は徳川期の朱子学・古学・国学の展開を、西欧近代的な自然法思想・歴史意識の萌芽として読み解く。林羅山らの朱子学的自然秩序観を、伊藤仁斎《いとうじんさい》が「古義学」として批判し、さらに荻生徂徠《おぎゅうそらい》が「古文辞学」でラディカルに解体する。そして本居宣長《もとおりのりなが》の「もののあはれ」の美学が、公的秩序から情念的実存を切り離した—この流れを、日本における「近代的」意識の内生的成立と位置づけた。
【影響と意義】
戦後日本の思想史学の方法論的基礎となった書。のちに自己批判も含めて「神皇正統記《じんのうしょうとうき》論」などで補完されつつも、日本近代性の起源をめぐる議論の永遠の参照点となっている。渡辺浩・黒住真ら後続の日本思想史家は本書との対話のなかで仕事を展開してきた。
【なぜ今読むか】
「西洋から学んで近代化した」という素朴な歴史観を覆し、日本自身のなかに近代への胎動があったことを示す知的冒険は、今も鮮烈である。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書は丸山眞男が東京帝国大学法学部助教授時代に発表した三本の論文を一冊にまとめたものである。執筆は太平洋戦争のさなかで、紙不足と検閲のなかでの仕事だった。中心となる問いは、「日本は西洋から近代を輸入したのか、それとも自前の近代を準備していたのか」である。丸山は徳川期の儒学思想史を素材に、日本社会の内部に近代的意識の芽を探そうとする。
第一論文は、徳川幕藩体制の正統的イデオロギーとして機能した朱子学を扱う。林羅山らの朱子学では、自然秩序と社会秩序が連続したひとつの「理」によって貫かれている。君臣の上下、父子の尊卑、男女の別は、宇宙の理がそのまま社会のうえに現れたものとされる。秩序は人為ではなく自然であり、変えることは不可能で不要である。丸山はここに、変化を許さない閉じた思想構造を読み取る。
第二論文は伊藤仁斎と古義学を扱う。仁斎は朱子学の抽象的な「理」概念を斥け、孔子と孟子の原典に立ち返ろうとする。彼は「仁」を、抽象的な原理ではなく日常の親愛の感情として読み直す。社会秩序は宇宙の理から演繹されるのではなく、人間の情のうえに具体的に成立する。第三論文の主役、荻生徂徠はさらに大胆である。徂徠は中国の古典を歴史的に読み、儒学の道徳は永遠の真理ではなく、古代中国の聖王が制定した政治制度であると見る。これによって自然秩序と社会秩序の同一性は完全に断ち切られる。社会は人為的に作られたものであり、必要なら作り変えてよい。
本書の結論部で丸山は、本居宣長の登場を位置づける。宣長は徂徠が解放した「人為としての社会」のさらに先で、公的な「ことわり」とは独立に、個人の内面の「もののあはれ」を肯定する。情念的な実存が、儒教的公共性から切り離された場所で承認される。丸山はこの一連の流れを、日本における「近代的」意識の内生的成立として読み解く。戦後、彼は本書の論旨をやや単純化しすぎた点を自己批判し、より複雑な像へと考えを発展させていったが、出発点としての本書の問題提起は、いまも日本思想史研究の参照点であり続けている。
著者
関連する哲学者と話してみる
