
賀茂真淵
かもの まぶち(Kamo no Mabuchi)
1697年 — 1769年
『万葉集』研究で国学の道を拓いた学者
この人物について
『万葉集』の研究を通じて、儒教や仏教が伝わる以前の日本古来の精神「ますらをぶり」を追求した江戸中期の国学者。本居宣長に決定的な影響を与えた師でもある。
【代表的な思想】
■ ますらをぶり(益荒男振り)
『万葉集』に見られる素朴で力強い歌風を「ますらをぶり」と名づけ、それこそが日本古来の精神の表れであるとした。後世の技巧的な歌風と対比し、飾り気のない真情の発露を尊んだ。
■ 古道の探求
儒教や仏教が日本に入る以前、日本には自然に備わった「古道《いにしえのみち》」があったとした。外来思想による人為的な道徳ではなく、自然のままの情感に基づく生き方を理想とした。
■ 万葉集の学問的研究
『万葉考』において万葉集の語釈・歌意の解明に取り組み、国学における文献実証の方法を確立した。古代日本語への精密な分析が後の国学研究の基礎となった。
【特徴的な点】
荷田春満の志を継ぎつつ、万葉集の実証的研究という具体的な方法論を確立した点が独自。松坂での宣長との出会い(松坂の一夜)は国学史上の象徴的事件として知られる。
【現代との接点】
外来文化との関係の中で自国の文化的アイデンティティをどう捉えるかという問いは、グローバル化の時代に改めて意味を持つ。文献実証に基づく古典研究の方法論は人文学の基盤である。
さらに深く
【思想の形成】
賀茂真淵は遠江国《とおとうみのくに》浜松の神官の家に生まれ、神道と古典和歌に親しむ環境で育った。京都に上って荷田春満《かだのあずままろ》に師事し、儒仏以前の古代日本の精神を探る国学の問題意識を受け継いだ。江戸に下って田安宗武《たやすむねたけ》(八代将軍吉宗の子)に仕え、幕府中枢の知的空間で文献実証の方法を磨いた。60代半ばから『万葉集』の本格的注釈に取り組み、古代歌謡の語彙と文法を一つずつ復元していった。1763年、松阪を通過した折に若き本居宣長と対面し、一夜の対話で『古事記』研究を勧めたことは「松坂の一夜」として国学史の象徴的場面に数えられている。
【思想的意義】
真淵の中心概念は「ますらをぶり」と「古道」である。『万葉集』の素朴で力強い歌風を「ますらをぶり」と呼び、後世の技巧的な「たをやめぶり」と対比させた。儒教や仏教が伝わる以前の日本には、自然に即した情感と直截な言葉に基づく古道があり、外来思想の人為的道徳はそれを覆い隠したと批判した。古言《こげん》の精密な復元を通じて古代人の心性に遡るという方法は、単なる懐古ではなく、言語を通じて古の精神に同化する実存的営為であった。文献実証と詩学的共感を架橋したこの手続きが、以後の国学の標準となった。
【影響と継承】
真淵の仕事は弟子本居宣長による『古事記伝』の大業に直結した。荷田春満から賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤《ひらたあつたね》へと続く国学四大人《こくがくしうし》の系譜のなかで、真淵は文献実証の方法を確立した決定的な中継者である。近代以降の万葉研究、折口信夫《おりくちしのぶ》の古代学、斎藤茂吉《さいとうもきち》『万葉秀歌』などの鑑賞批評の底流にも、真淵が開いた古代語復元の視線が流れている。他方で古道観は近代国家神道や国粋主義に接続された面もあり、現代ではその政治的受容を含めて批判的に読み直す研究が進められている。
【さらに学ぶために】
入口は本居宣長『古事記伝』『玉勝間』との関係で読むのが最も理解しやすい。田中康二《たなかこうじ》『真淵と宣長』は学術的評伝として信頼でき、子安宣邦《こやすのぶくに》『本居宣長』は国学全体の思想史的位置づけを掴むのに有用である。『万葉考』の抄録を読むと古代語復元の具体的な手触りが感じられる。

