
エマニュエル・レヴィナス
Emmanuel Levinas
1906年 — 1995年
「他者の顔」から倫理を説いた哲学者
この人物について
他者の顔との出会いに倫理の根源を見出し、西洋哲学の存在論的伝統に根本的な問いを突きつけた哲学者。
【代表的な思想】
■ 倫理としての第一哲学
西洋哲学が存在論(存在の理解と支配)を第一哲学としてきたことを批判し、他者への倫理的責任こそが哲学の出発点であるとした。存在の理解に先立って、他者との倫理的関係がすでに成立していると論じた。
■ 他者の顔
他者の顔は概念化や理解を超えた「無限」を表現し、私に無条件の応答責任を呼びかける。顔は殺害への誘惑と同時に「殺してはならない」という倫理的命令を突きつけるものであるとした。
■ 非対称的倫理
自己と他者の関係は対等な相互関係ではなく、自己が一方的に他者に対して責任を負う非対称的な関係であるとした。この責任は私が選んだものではなく、他者の存在そのものによって課せられるものである。
【特徴的な点】
フッサールの現象学とハイデガーの存在論を学びながら、それらを批判的に乗り越えた。ハイデガーが存在の問いを優先したのに対し、レヴィナスは倫理を哲学の根本に据えた。ユダヤ教的伝統(タルムード解釈)が思想の重要な源泉である。
【現代との接点】
ホロコースト後の倫理、難民問題、異文化間の共生、ケアの倫理など、他者への責任という問いは、グローバル化と暴力の時代において一層切実なものとなっている。
さらに深く
【思想の形成】
エマニュエル・レヴィナスは1906年、帝政ロシア領リトアニアのカウナスにユダヤ人書店主の長男として生まれた。家庭ではヘブライ語でタナハを学び、ロシア語でプーシキンやドストエフスキーに親しむ複層的な文化環境のなかで育った。1923年にストラスブール大学で哲学を学び、1928年から29年にフライブルクに留学してフッサールに直接師事し、当時新進のハイデガーに深い衝撃を受ける。『フッサール現象学の直観理論』で博士号を取得後、フランスに帰化してアリアンス・イスラエリット・ユニヴェルセルで教職に就いた。第二次世界大戦では通訳将校としてドイツ軍に捕らえられ、ユダヤ人将校としてヘル・ドイチュの収容所で五年を過ごす。この間にリトアニアの家族は全員ホロコーストで殺害された。戦後はパリのユダヤ教育師範学校長、ポワティエ、ナンテール、ソルボンヌの各大学で教え、1995年に没した。
【思想的意義】
レヴィナスは西洋哲学がパルメニデス以来、他者を「同」へと還元する存在論を第一哲学としてきたことを批判し、倫理を第一哲学として立て直すことを試みた。『全体性と無限』では、他者の「顔」が理解や所有を超出する「無限」を示し、「汝殺すなかれ」という命令として私に呼びかけると論じる。この責任は私の自由な選択に先立ち、私を選んだ他者のもとで初めて主体が生まれるという逆転がある。後期主著『存在するとは別の仕方で、あるいは存在の彼方へ』では、主体性そのものを「他者のための一者」と定式化し、感受性・傷つきやすさ・身代わり(substitution)といった概念が展開される。タルムード講解では聖書のテキストを哲学的読解の対象とし、ユダヤ的伝統と現象学とを往復する独自の書法を築いた。
【影響と継承】
レヴィナスの仕事はデリダの「暴力と形而上学」によって広く知られ、脱構築と倫理の関係をめぐる後続の議論に決定的な影響を与えた。ジャン=リュック・マリオンの贈与の現象学、ジュディス・バトラーの傷つきやすさの倫理、エンリケ・ドゥッセルの解放哲学にも彼の枠組みが息づく。ケア倫理学や医療倫理、難民研究といった応用倫理の分野でも「顔」の議論が繰り返し参照される。日本では内田樹や合田正人が紹介と研究を進め、ハイデガー受容の対抗軸として現代哲学の地図を書き換えた。彼のイスラエル国家への姿勢は批判的再検討の対象でもあり、思想の射程をめぐる議論は続いている。
【さらに学ぶために】
『全体性と無限』は熊野純彦《くまのすみひこ》訳(岩波文庫)が定番である。『存在するとは別の仕方で』は合田正人《ごうだまさと》訳(朝日出版社)が読める。入門には内田樹《うちだたつる》『レヴィナスと愛の現象学』や港道隆《みなとみちたか》『レヴィナス:法-外な思想』(講談社)が手頃で、タルムード講解ではまず『困難な自由』が糸口になる。


