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全体性と無限

ぜんたいせいと むげん

レヴィナス·現代

「他者の顔」から倫理を基礎づけたレヴィナスの主著

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哲学

この著作について

リトアニア出身でフランスで活動したユダヤ系哲学者エマニュエル・レヴィナスが1961年に公刊した、倫理学を第一哲学として位置づける主著。

【内容】

西洋哲学の伝統は、あらゆるものを認識主体の枠組みに回収する「全体性」の論理で進んできたと診断される。しかしそこに収まらない決定的な経験が、私の前に現れる「他者の顔」との出会いである。他者の顔は言葉以前に「殺すなかれ」という倫理的命令を発し、「私」は他者に対して無限の責任を負わされる。こうして、存在を問う存在論(ハイデガー)よりも、他者を迎える倫理が先立つ、という「第一哲学としての倫理」が提唱される。ホロコーストで家族を失った経験が、全編の通奏低音となっている。

【影響と意義】

デリダ、リオタール、バトラー、バウマンなど多くの現代思想家が継承した。ホロコースト後の倫理を根本から考え直す試みとして、宗教間対話や戦後思想の基盤ともなっている。

【なぜ今読むか】

「他者の顔を前にして、私は問われている」という洞察は、対人関係や社会的責任の根源を深く考えさせる。他者を理解しようとすること自体が暴力になりうるという逆説は、多文化共生の時代に衝撃的な示唆を与える。

さらに深く

【内容のあらまし】

冒頭でレヴィナスは、ヨーロッパ哲学の歴史をひとつの巨大な「全体性」の運動として描き出す。プラトンからヘーゲル、ハイデガーに至るまで、哲学はあらゆるものを認識主体の枠組みのなかに回収し、未知のものを既知の概念へと均してきた。戦争もまた、他者を自分の体系のなかに組み入れようとする全体性の極限形態である、と彼は診断する。

第一部「同と他」では、私が世界を享受する場面から議論が始まる。空気を呼吸し、太陽を浴び、食物を味わう。レヴィナスはこの感性的な享受を、認識以前の幸福として描き、私はまず世界を「楽しむ」存在だと位置づける。だがこの幸福は閉じた円であって、そのままでは他者は現れない。家を持ち、所有し、労働するなかで、私は世界を自分のものとして組織する。

第二部「内面性と経済」を経て、第三部「顔と外部性」に入ると、議論は決定的な場面に達する。突然、私の前にもう一人の「他者」が現れる。その他者の「顔」は、いかなる図像にも還元できず、私の理解の網を破って向こうから語りかけてくる。顔の本質的な命令は「殺すなかれ」である。武装していない他者の顔は、私に殺人の可能性を示すと同時に、それを禁じる倫理的な要請として現前する。

第四部「顔の彼方」では、この出会いが性愛、繁殖性、世代性という時間の構造へと展開される。子を持つこと、未来を引き受けること、これらは全体性に閉じない「無限」の経験として位置づけられる。最終部でレヴィナスは、倫理は存在論の後に来る一分野ではなく、存在を問うより前にすでに発動している「第一哲学」だと結論する。ホロコーストで家族を失った思想家が、戦後の地に立ってもう一度、哲学を倫理の側から立て直す試みが、ここに完結する。

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