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蒲

『蒲団』

ふとん

田山花袋《たやまかたい》·近代

田山花袋の自然主義小説

哲学

この著作について

田山花袋《たやまかたい》が雑誌『新小説』に発表した中編小説で、日本自然主義文学と私小説の方向を決定づけた問題作。

【内容】

三十六歳の中堅作家・竹中時雄は、郷里から上京してきた若い女弟子・横山芳子を内弟子として受け入れる。妻と子をもつ身でありながら、時雄は芳子に抑えがたい恋情を抱くようになる。やがて芳子には同郷の神学生との恋人がいることが分かり、時雄は師として倫理的に振る舞う一方、内面では嫉妬と欲望に翻弄される。最後の場面、芳子が去った後の部屋に残された蒲団に顔を埋めて彼女の匂いを嗅ぐという有名な一節が、読者に衝撃を与えた。自己の醜悪な感情を隠さず書くという、それまでの日本小説にはなかった姿勢が貫かれている。

【影響と意義】

ゾラやモーパッサンを参照したフランス自然主義の影響下で、「作家自身の内面と生活をそのまま素材にする」という私小説の枠組みが本書によって事実上確立した。島崎藤村《しまざきとうそん》『破戒』と並ぶ自然主義文学の代表作として、大正期の志賀直哉《しがなおや》・葛西善蔵《かさいぜんぞう》らに引き継がれていく。

【なぜ今読むか】

SNSに自分の弱さをさらすこと、他者への欲望を書くことをめぐる現代の倫理感覚とも響き合う作品である。「書くことは自分を晒すこと」という私小説の原点を、その背徳と切実さごと体験できる一冊である。

さらに深く

【内容のあらまし】

物語は、小石川の切支丹坂から極楽水へ下る坂道で始まる。竹中時雄はこれで自分と彼女との関係は一段落したと考え、ハウプトマンの戯曲「寂しき人々」を思い出す。芳子に日課として教えようかと考えた作品だった。

全11章のうち、第2章からは時をさかのぼる。神戸の女学院に学ぶ備中新見の娘から崇拝の手紙が届き、時雄は女が文学に携わる危うさを説く長い返事を書いて、これで愛想をつかすだろうと微笑するが、四日目にはさらに厚い手紙が届き、師弟の関係を結ぶ。翌年の二月、芳子は父に伴われて訪ねてくる。三男が生まれて七夜《しちや》の日だった。家に置くうちに妻の機嫌が悪くなり、芳子は妻の姉の家に預けられる。一年半後、芳子は郷里から戻る途中、同志社の学生田中秀夫と京都の嵯峨で二日を過ごし、罪は犯していない神聖な恋だと訴える。時雄はこの恋の証人の役を負わされる。泥酔した彼は蒲団をかぶったまま厠《かわや》へ向かい、蒲団を妻に引きはがされたあと、厠の中に寝てしまう。

田中が上京し、芳子が新橋まで迎えに出たという手紙の「私共」の一語に苛立った時雄は、酔ったまま芳子を連れ戻しに出かけ、途中、人影のない市ヶ谷八幡の境内で珊瑚樹の根元に身を横たえる。昔、娘時代の今の妻を思ってよく登った高台である。八年で変わった自分の心を、事実だから仕方がないと胸の中で繰り返す。翌朝、物置にしていた自宅の二階を掃除して芳子を住まわせ、留守を見計らって机の抽斗《ひきだし》を探り、男の手紙を盗み読む。京都へ帰った田中は、やがて宗教を捨て、文学で立つと言って再び上京する。時雄は自分の心を欺き、温情ある保護者を演じつつ、備中の父に手紙を送る。

年が明け、時雄の求めで上京した父は田中を呼んで談判し、三年は娘をほかへ嫁がせないと神に誓う。ところが嵯峨の潔白を示す手紙を見せよと時雄が迫ると、芳子は顔を赤くして、焼いたと答える。下女が二階から持って降りた芳子の手紙は「先生、私は堕落女学生です」と始まっていた。時雄は芳子を京橋の宿の父に引き渡す。父は怒りもせず、帰郷が決まる。発車を待つあいだ、時雄は妻さえいなければ芳子をもらったはずだと空想する。その背後の柱のそばに立つ古い中折帽の男に、芳子と父は気づくが、時雄だけが知らない。

最終章、五日目に芳子から候文《そうろうぶん》の手紙が届く。時雄は二階に上がり、抽斗に捨てられた油じみたリボンを取って嗅ぐ。襖を開けて萌黄唐草《もえぎからくさ》の敷蒲団と夜着を引き出すと、油と汗のにおいに胸がときめく。汚れた天鵞絨《ビロード》の襟に顔を押しつけ、やがて蒲団を敷き、夜着をかけて泣く。戸外では風が吹き荒れている。

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